「あいまいな喪失」には、心理的に存在しているが身体的に存在しない「さよならのない別れ」や、また肉体はあっても心理的に失われた「別れのないさよなら」もある。

それは、目に見える存在との別れと同様

或いはむしろ、もっと複雑で解決方法が難しいという。





「どんな本をどれだけのスピードで読んでいるのですか?」  

「読んでいません。」

さっきまでテレビを
見ていました。








12歳のときから一緒にいた。

病気になった奥様と
それを支えるご主人の
お弁当屋さん

おかあさんと一緒にいるのが
俺の人生だから。

ご主人の声をのせたBGMは




今、この番組を見て
この曲を聞きながら
このブログを書く。



それは、きっと






「シングルって、そう悪くもないよ?」
というのは、実体験からの曖昧な感想であって、そこに正しさも共感も必要ないのであるが



離婚する前から、私は家庭内で
夫を失っており

そればかりか いつしか
我が子への父性を
失った

と感じていたから

その曖昧さから脱却したく
離婚する機会を狙っていた。


離婚

それは、私個人にとっては
曖昧な喪失ではなく
完全で安全な消失



むしろ、結婚生活のほうが
曖昧だったのである。


が、



遭うべき糸に
出会えることを
人は幸せと呼びます




「12歳のときから一緒にいた。」

お弁当屋さんのご主人は
そう言い、その頃の妻は
 「フランス人形のように可愛かった」 
と回想した。



 






出会ってから35年

いまが、一番
かわいいよ??

と言った彼は
数日前

こう言った。

まこちゃんの
中高時代は

酒井法子だもんね。




絶対に違う

曖昧な記憶喪失