幼児の頃の、かわいいエピソードに事欠かない、魅力にあふれた我が家の次男りくくんであるが、


いつのまにか

それは中学生あたり



巷では、「シュール」と

言われるようになっていたらしい。




素朴な疑問や感じたことを、まっすぐに言葉にするが


淡々としたその雰囲気は、なぜか

とても穏やかにみえるために


「シュール」

そういう印象を与えるのかもしれないと、私は最近、思うようになった。




母親である私の、20年間のあてにならない観察の積み重ねから、



傍からみると「シュールなおもしろさ」と感じられる、その表情と言動は、



彼自身が、無意識に日々

心の有酸素運動を持続的に行ってきた功果なのかもしれないと、憶測したりもする。






私が日々使用しているワンダーコアでの「腹筋運動」に、「まったく負荷を感じないけど、効果はあるの?」と言ったり


腕立て伏せは、顎がつくくらいまで肘を下げるのだと助言し、さらに


「腕立て伏せの基本姿勢は、左右の肩甲骨が中央によっている」ものなのだと、とてもわかりやすく、丁寧に優しく


アラフィフオンナを相手に、誠実に語る。



その様子は、たしかに

中学時代に同級生女子たちが言っていた

「シュールなおもしろさ」

であると思う。





長男が高校生、次男が中学生のある日


問題集の解答冊子を

預かる先生とそうでない先生がいて


預かって欲しい生徒と、そうではない生徒がいるらしいという話になったことがある。

 


長男は、かなり面倒そうに、かつ若干腹立たしげに


見たい奴は見ればいいし

見たくない奴は見なけりゃいいだろ!


と、言った。


その言い方は、「くだらねぇこと、話題にしてんじゃねぇよ。クソババァ。」と、聞こえなくもなかったので、


「いま、そう思った?」

と本人に聞きたいところだったが、そう聞いた場合に


「そこまでは、思ってねぇよぉ〜」

と答えることが、よくあったので、このときは、その心を追及しなかった。



という私の記憶であったのだが





じつは、この直後の

次男りくの発言が



「いま、クソババァって思った?」

長男に、そう訊ねようとする、私の言葉を制したのだということを、思い出した。



見たい奴は見ればいいし

見たくない奴は見なけりゃいいだろ!


長男が、キレ気味にそう言ったあとに

次男りくは、柔和な表情を崩さぬまま、静かに優しく、こう言ったのだ。





「解答冊子を預かってもらうほうがいい。」っていうことは、「自分は他人に管理されたい。」って、言っているのと同じだよね。



「ちゃんとした先生は、解答冊子を預かるもので、自分はそうされたい。」と、本当にその子が思っているのだとしたら、


これから先もずっと


「誰かが自分を管理してくれるものだと、思ってしまっている。」ということなんじゃないかな?







見たい奴は見ればいいし

見たくない奴は見なけりゃいいだろ!


「解答冊子を預かってもらうほうがいい。」っていうことは、「自分は他人に管理されたい。」って、言っているのと同じだよね。

これから先もずっと

「誰かが自分のことを管理してくれるものと、思ってしまっている。」ということなんじゃないかな?



このふたりの発言も、

「言っていることの本質は同じ」なのではないか。


そう気づくと同時に




長男を産んで22年

次男を産んで20年


ごく最近まで

「シュールな言動は、いつも長男」


そう思い込んでいた、母親である私自身の過ちにも、気づいたのである。