僕の通っていた小学校はなかなか面白いところであった。
私立宝仙学園小学校といって、仏教系の学校である。中高短大とある
が、これは女子のみで、男子は100パーセント受験しなければならな
い。中レベルの進学校である。
クラスは松、竹の2クラスのみ。生徒数は一クラス38人だったから、小
規模の小学校だったのだろう。
僕は1~3年を竹組、4~6年を松組で過ごした。4~6年まで担任であ
ったH先生という人がとても心に残っていて、今でもよくその先生の事を
考える。
先生は当時30歳くらいで、若かった。フォークギターを弾いて、クラスみ
んなでナツメロをよく歌った。チューリップの「いとしのエミリー」やジローズ
の「戦争を知らない子供たち」は今でも良く覚えている。吉田拓郎の「虹の
魚」も歌ったなぁ。ありゃ今思えば青年向けの歌だよな。今の僕にピッタリ
はまるんだから。屋久島出身の人だったので、沖縄のうたも歌った。今の
僕の歌の趣味がこの先生の影響を受けている事は間違いない。
料理好きの人でもあった。授業を潰して地元から届いた黒豚をみんなで調
理したりした。トン汁作ったり、シュウマイを作ったり。さつま芋の料理もよく
作ったなぁ。僕はたびたび先生から包丁の使い方を誉められて、それが今
の料理好きに繋がっているのかもしれない。そうか、そうだったのか。書いて
て初めて気づいた・・・。
授業を潰すのは日常茶飯事で、他のクラスの連中が羨ましそうに見ている
中僕たちのクラスは外で遊んだりしていた。だってねぇ、ほとんどの生徒が
進学塾に通っているわけだから学校の勉強なんてアホらしくて受けていられ
ませんよ。いい気分転換になるわけで。ただこれは、一部の保護者と、学校
の関係者からは相当評判悪かったらしい。風当たりも強かっただろう。
情操教育にも熱心な人であった。灰谷健次郎の作品をよく読まされた。「兎
の目」はとても印象深く、今でも感動する。当時NHKで放送されていた「生
き物地球紀行」という番組は、毎週欠かさず見た。戦争の映画もよく観た。
今にして思えば、この先生の教育は「後から効いて」くるものであった。当時
の僕にはあまり理解できなかったことも、今なら分かる。そして、深く響いてく
る。たぶん先生はこうなる事を予測してなかったんじゃないかな?若かったし
、割りと必死な部分もあったのだろう。時々生徒をぶん殴るまで怒ったりして
たしな。そういう部分も含めて、僕はH先生が大好きである。
H先生に出会えて良かったと、心から思う。一緒に酒を飲みたいとも思う。先
生はビールが大好きだったから(笑)。よく小学生相手にビールの美味さを説
いていたものだ。こんどフラッと小学校に寄ってみようかな。
