政治家の持つチカラ
久しぶりの更新かもしれません。
この書いていない間、何かあったというわけでもなく、むしろ様々なことが起こり過ぎた、ということなのかもしれません。
毎日が本当に充実していて、そして心にグッとくるような出来事も多くて。
他人に愚痴をこぼしたり弱音を吐けない僕が、悩みのはけ口のために用意したこのアメブロブログが利用されなかった、それは僕にとっては素敵なことなのかもしれません。
むしろ悩む暇さえなかった、そういうことかもしれません。
どういう理由でしばらく書かなかったとは言え、今このブログを書いていることは少し気持ちがいいです。
医学生5年生である僕は、やはりこれからも忙しく、ブログと向き合う時間が少なくなるかもしれませんが、それはそれでいいのだろうと思います。
僕にとってブログは1つの芸術、そんな気もします。
だからこそ、突然休養といって活動休止を表明するミュージシャン(ミスチルなど)や、数年に一回しかアルバムを出さないアーティスト(山下達郎など)の気持ちが少し分かるような気もします。
無論、そういう彼らは一流であり、レコード会社に縛られない、トップの方ばかりなのですが・・・
僕はまだまだひよっこです。
8月2日より11日まで、僕はインドへ旅行に行きました。
僕の人生観を大きく変えた最大の出来事かもしれません。
またこの旅行の思い出や感じたこと、学んだことを書きたいのですが、長くなるので今日はやめときます。
でも、一番大きく感じたのは政治の大切さ。
国を動かす人間の重要さ。
そんなことでした。
そしてその矢先に解散総選挙。
郵政民営化に焦点を絞ったマニフェストも何もないような選挙。
そして自民党の圧勝。
1つの政党が大きくなれば起こってしまうこと、
そう、北朝鮮みたいな国になってしまうんですよね・・・
誰も異論を唱える人がいなくなっちゃうから。
要するにインドという国も、そういう国であった。僕はそう感じたわけです。
インドにあるカースト制度というものが、そのような国の形を作ってしまうわけです。
長くなるので今日はここでやめておきます。
医療従事者になる僕は、政治とは全く無縁の人生を送るのであろうかと思っていたのですが。
政治家になりたい人の気持ちがよく分かるような気がします。
それでは病院実習に行ってきます。
理想と現実
ブログを書くという作業は、時に負担になります。
もともとは心に溜まっている膿のような、
何かわからないけどいつまでも体の奥から抜け出さない感情を吐き出すため、
僕はこのブログを書くことを決めました。
そして、誰かに読んでもらって一人でも共感してくれればラッキー、という感じで。
しかしながら結局は他人を意識して書いてしまう自分がいます。
ありのままの自分を出すことで心を楽にする場所であったはずなのに、
誰かを意識してしまう。
結局は仮面をかぶりながら暮らす毎日と同じ。
だから時に負担になるんです。
しらずしらずのうちにかっこつけたブログになっちゃうから。
ありのままでいいんですよね。
でも分かってても無意識のうちにかっこつけちゃうんですよね。
きっとそういう性格ってぼくだけじゃないんだろうなぁ・・・
夜回り先生
僕は水谷先生が好きです。
そう、いわゆる夜回り先生。
好きというか、気持ち的にはそんなものではなく、憧れ、尊敬、そして感動を与えてくれる人物です。
自分の体を犠牲にしてでも、子どもたちのために生きる。
毎日の睡眠時間は3時間ほどしかないという話も聞きます。
子どもを守るため、やくざから怪我を受けたたこともあります。
そして、自分の教え子が自殺すれば、「僕が殺した」、そんなことをいう優しい先生です。
先生はしかも、自分に大きな病を持っており、死期が刻々と迫っているとも聞きます。
僕は、子どもを守りたいがために精神科医を志しました。
そう、何よりも自殺をする子どもたちを守るために。
世の中には、心にぽっかりと穴があき、生きる意味も見つからず、自分の存在価値すら失っている子どもたちがたくさんいます。
それは、大人のせい、社会のせい、親のせい、政府のせい、教師のせい・・・
僕は、子ども自身の責任意外で、子どもは苦しんでいる、そう感じています。
水谷先生は言います。
麻薬や覚せい剤に手を出してしまった子どもたちは、そうせざるを得ない状況に追い込まれただけだと。
僕もそう思います。
そういう子どもたちのはけ口になるような場所。
僕は精神科医になれば、どのようにかしてそういう場所を提供していきたい、そう思っています。
恥ずかしながら、その目的を果たすプランはほとんどなく、自分の考えの未熟さを情けなく感じます。
そして水谷先生はこうも言います。
子どもたちは学校というほんの限られた能力を試す場所にだけで評価されている。
高校を出なかったからといって、いい家を建てれる大工にはなれないわけがない、と。
僕もそう思います。
しかし世の中は、金のある者、学力が高い者、そういう人間が力を持ち、そして支配します。
それは、間違いのない現実であり、どんなにきれいごとを言おうが、心の奥では誰もがその現実を感じているはずです。
それが日本であり、社会の風潮であり、避けることのできない真実。
金のある者、学力が高い者が、生きやすい世の中なのです。
なぜならば世の中を支配するのはそういう人たちだから・・・
しかしその腐った現実と闘わなければ、子どもたちは救えない。
何の責任もない子どもたちが苦しんでいる。
苦しむ子どもたちはお金もなく、学力も乏しい子どもたち。
でもきっとそんな子どもたちは、他に素晴らしい能力をもっている。
優しかったり、繊細であったり、純粋であったり。
世の中を支配、いや、支配という言葉ではあまりにも汚い。
そう、素敵な未来を導いてくれるのは、きっとそんな子どもたち。
そういう部分を見てあげようよ。
そして気づいてあげようよ。
僕は夜回り先生のようになれるかな。
僕の気持ちを多くの人に伝えれるようになれる勇気があればな。
今はその勇気を少しずつ心に貯めている時です。
全ての子どもたちが幸せになれますように。
それが僕の願いです。
僕も水谷先生のように、世の中と戦い、子どもたちを守りたい。
ちょっとした出会い~DefTech編~
忙しかった。ここ最近。
目の前にある山を越えることで精一杯。
そんな毎日だった。
心の余裕もなく、
試験、講義、勉強、部活、サークル、試合、バンド、
そして勉強、また試験。
充実している、そう表現できもする。
何も感じずに過ごす毎日、そんな気もする。
何もない時間、ふと自分に返る時間、
僕はそんな時間を大切にする。
大切なことって、そういう時間に突然現れたりするから。
新たな発見、新たな感動、忘れてた感情、失いかけた熱い気持ち、
きっかけは何だっていい、僕はもう一度自分を見つめ直したくなる。
今日のブラウン管には、野球をする人、バレーをする人。
そしてMステにはDef Techが軽やかなラップを心地よいリズムで奏でている。
噂には聞いていたが、ちゃんと曲を聴くのは初めてだった。
いいリズムだ、いいメロディーだ、いいアレンジだ、
そしていい人だ・・・多分!?
「毎日楽しけりゃいい、おもろいことだけやって生きていればいい」
そういう現代に棲みつく自己主張や自由を勘違いしたような若者とは少し違うようだ。
まぁ、ちょっと歌詞を聞いただけでそこまで判断してもどうかと思うが、
何となく純粋さや勇気や優しさを感じてしまった。
見かけはチャラチャラした感じがするのにな。
まぁいいや、久しぶりに自分に返る時間。
心落ち着く時間。
Def Techに心惹かれた今日。
また今度CD買って聞いてみよう。
大した宣伝もプロモーションもなくこんなにも大ヒットしたんだ、
音楽、メッセージ、雰囲気、人柄そのものがこの時代の日本人に受け入れられた、
僕もきっとその中の一人になってしまうんだろう。
自分に返る時間、今日の出会いはDef Techってことで。
「電車男」=僕
「電車男」、映画館に見に行ってきました。
エルメスみたいな女性絶対いないな、って思うと同時に、
主人公の電車男って何だか自分みたいだな、って思ってみたり。
不器用で
鈍臭くて
現実から逃げてて
臆病で
弱虫、泣き虫で
自分に自信がなくて
夢の世界に自分を預けてしまうようなところが。
僕は別にアニメおたくではないし、決してアキバ系と言われるような人ではない。
趣味もおしゃれも話し方も、ごくごく一般的。
パソコンなんて超苦手で、どちらかといえば外で体を動かすほうが好きなほう。
でもどこか似ている。
というかほとんど一緒。
以前テレビでこんな話を聞いたことがある。
「アキバ系といわれる人は、とっても自分に素直な人。
かっこつけないし見栄も張らない。
だからみんなとっても純粋だし優しいんです。」
あぁなるほど。
世の中の人間のほとんどはそう生きてない。
周りの目を気にし、足並みをそろえ、それゆえに自分の心に素直になれずに、かっこばかりつけている。
人に後ろ指を指されないように、他人の後ろで様子をうかがいながら、
そして少しでも欠点を見つけては、後ろ指を指し、安心を得ている。
やがて他人を信じることができなくなり、人の裏ばかりを読むようになり、窮屈な心になっていく。
一緒に言った女の子に聞いてみれば、
実際、電車男みたいな人がいても、絶対付き合わないという。
これが現実。
もしかしたら付き合うという返答をする女性もいることであろう。
しかし不器用で自分を表現するのが苦手な男性のよさを発見できるまで、
辛抱強く待ってあげれるのだろうか。
結局は見た目のいい男や口説き方の上手な男に女性はついて行くのではないか。
人が恋するとき、徐々に相手の良さを知っていくパターンよりは、衝撃的な、感情的なパターンが多いはず。
そんな恋愛のほとんどは、打ち上げ花火のようなもの。
この映画を見て思った。
僕はやはり取り繕いながら生きている。
かっこつけながら生きている。
ありのままの自分じゃ好きになってもらえないから、
ありのままの自分を受けいれてもらえないと思っているから。
これはもっと自身を持て、なんていうきれいごとでは片付けることが不可能だと思う。
だって現実はそんなものだから。
きっとエルメスなんていないから。
僕は絶対・・・
電車男。
でもこの物語がヒットしていること。
それはきっと電車男に共感を寄せる男がたくさんいる、ということだと思う。
モテモテの恋愛上手な男にこの気持ちは分からない。
ただただ一生懸命がんばるしか愛の伝え方を知らない男の気持ちなんて分からない。
でも、
だから本物の恋愛ができるんだ。
きっと僕の周りにいるあいつもこいつも、
電車男。
世の中には、たくさんの電車男がいる。
そう信じることで、少しだけ心が楽になった。
外界、そして心の内。人間としての限界
感情が見えない。
どうあがいても感情が見えない。
今僕が何を感じ、何を苦しんでいるのか。
時に僕はそんな瞬間に出会う。
余りに忙しく流れていく世の中の動きに目を奪われ、、
自分の心がその動きについていけなくなる。
次々に現れる新しい出来事、
刺激的なものも、そうでないものも、
興味のあるものも、ないものも、
僕はいちいち立ち止まり、そして時間を使い込む。
そうしてる間に、新しい出来事が目の前に不敵な笑みを浮かべて現れる。
「次はこっちの番ですよ。。」
頭では理解できる。
意識の中だけでは・・・
心は何も飲み込めないまま次の新しい現実を飲み込ませようとする。
もう飽和状態。
僕の注意は散乱し、
やがて心も頭も疲れ果てる。
緊張感の続く毎日。
やがて僕らは人間の容量を超え、退化していくではないか。
僕らのできること、
それは食事をし、睡眠をとり、性欲を満たし、生きるために働く、
もともとそれだけではなかったのか?
人として、猿から進化した人間としての限界値は、
もうとっくに通り過ぎているはず。
全ての人間に警告する人が出てきてもいい頃かもしれない。
僕らは、生きることに疲れ果て、辟易している。
くだらない戯言
女性に「抱いてほしい」と言わせるような男になりたいと思う。
卑しい願いであることは分かっている。
何て陳腐で、中身のない願いであることか。
ただただ快楽のみを追求した、どうしようもない欲望である。
しかしここはあえて恥を偲んで語りたい。
男性的なフェロモンといわれるようなものであろうか、
そう、女性が、一夜だけでいいから抱かれたいと、そう願われるような男。。。
女性を抱きたいなら、いろいろな方法があるのではないか?
女性の心の物足りなさや寂しさにつけこみ、
普段から優しくしていればいい。
そして、供に食事でもしてる時に、
「僕がずっとそばにいる、愛しているよ」
なんてささやけばいいのだ。
それでもエッチに持ち込めなさそうな雰囲気を感じれば、
「付き合ってほしい。絶対幸せにする。僕を信じて。」
なんて本気で言えばいい。
相手の目を一直線に見つめ、僕は嘘なんてつかない、まるでそう言うように。
その日にできないとしても、付き合ってしまえばいつかは肉体関係にはなる。
付き合えなくても、その後一生懸命アプローチすれば、
多くの確率で交際をすることはできる。
そうすれば、体を求めることは自然なことだ。
たとえ嘘でもいい。
僕らは嘘を使ってでも、女性の体に触れ、そして射精することが可能なのである。
しかし、次の、別の女性とエッチがしたくなったらどうすればいいのか。
また同じ手順を踏むことには問題が生じる。
それまでの女性に別れを告げたり、「もう愛してない」などと言わなくてはいけない。
そうすれば多くの場合結論は決まってくる。
女性は泣くのだ。そして時には怒り、ヒステリックになる場合もある。
どちらにしろ、傷つけられた、裏切られた、それはその感情表現に過ぎない。
僕はそういうものに弱い。
人を傷つける、悲しませる、
それは僕にとってはとっても苦しいこと。
胸が痛む。
そして自分を責める。
何て醜い人間かと。
僕は断言できる。
愛と性欲は別物である。
僕は今の女性を愛しているが、それ以外の女性とも性交渉を持ちたいと願っている。
この感情は恥ずべきかもしれないが、恥じたとこでただの強がりに過ぎない。
体目的の関係を求めるような男に思われたくない、そんな気もする。
女性を傷つけずに悲しませずに裏切らずに性交渉を持つには、
圧倒的な男としての力で自分に惚れさせるしかない。
それが現在の結論である。
口説かなくても、自分のしたいことだけしてても女性が惚れるような男。
性格や内面やら気遣いやら、そんなめんどいことなんか超越した男としての力。
僕はそんな力が欲しい。
甘い言葉なんて要らない。
一目見て、その立ち振る舞いを見ただけで、
「あぁ、抱かれたい」
そう女性に言わせたいのだ。
人並みのルックスでしかない僕には到底無理なことなのか。
やはり男はルックスでしかないのか。
かっこいいよりもかわいいと女性に言われるような僕では無理なのか。
誠実であるといった内面でしか勝負できない僕には無理なのか。
繰り返す言う。
何て陳腐で、中身のない願いであることか。
ただただ快楽のみを追求した、どうしようもない欲望である。
こんなことを真剣に考えている自分が情けなくなる時もある。
しかし、究極の男の中の男。
挑戦するには十分価値のある高い山である。
感じること、感じないこと、精神分析者フロイトに教わったたこと
僕はいつのまにか、自分の感情を押し殺し、
感じないように生きようとしてしまうことがある。
感じないことが楽であり、
そういうことに振り回されず、
自分のやるべきノルマや目標に向かい、淡々と打ち込むことのほうが、
圧倒的に楽であり、そしてそのような生き方は立ち止まることをしらない。
少し前までは、そのような生き方が理想であった。
いちいちあらゆることに敏感に反応することなく、
どんな出来事に巻き込まれようと自分を絶対的に信じ、
図太く生き、
傷つくことを知らない心。
そう、精神的なタフさとは、どんなことがあっても傷つかない心であると思っていたのだ。
小さい頃から、死ぬほど胸が痛むことが多かったような気がする。
何度も何度も傷つき、苦しみ、そしてそれを話す相手も術もなく、
ただ悶々と悩む。
なぜおればかりがこんなに苦しいんだろう。
なぜこんなちっぽけなとことで苦しみ、立ち止まっているんだろう。
何度も死にたい、自殺したい、そう考えていたようである。
もう傷つきたくない、苦しみたくない、
それを解決するために僕がしたこと、
「心にフタをする」
ことであった。
自分から湧き上がる感情を全て押し殺し、
僕は感情なんかに振り回されない、冷静で知的でクレバーな人間を、
「装う」
ことであった。
これが全てを解決してくれると思った。
感情を押し殺す、何て素敵な方法かと、自画自賛であった。
しかし、そこにある落とし穴に気づいたのは、
「心にフタをし」、「装う」ことを始めて、4年余りの月日が経ってからであった。
結局押し殺した感情は、自分の心に、生ごみのように溜まり、そして異臭を放っていた。
押し殺した感情は、決して僕の肥料にはならずにいた。
積もり積もった感情によって、僕の心は破裂しそうになっていた。
そしてその異臭と莫大な量の心の生ごみに、僕は押しつぶされ、
生きることをやめようとしていた。
フロイトの語った人間の無意織、
それは押し殺した感情そのものであり、
人は時に、感情を押し殺していることにすら気づかない。
僕らを苦しめているのは、その無意織そのものであるのに。
フロイトに学んだこと、それは、
しっかり感じる、
ということに尽きる。
どんなにつらかろうと、感情を押し殺してはいけない。
いったん感情を押し殺してしまえば
その苦しみは耐えがたく、生きることに喜びを感じれなくなる。
その押し殺した感情は、心を蝕む毒となり、そして最終的には心を再起不能にする。
感情を押し殺すということは、その位の殺傷力を持っていると覚悟しなければならない。
確かに全てを感じたほうが、人生はポジティブだ。
楽しいとき、悲しい時、気持ちいいとき、苦しい時、
全てを思いっきり感じることのほうが、僕は人間でいれるような気がする。
フロイトについて僕はよく知らない。
しかし僕の人生を劇的に変えてくれた。
僕が精神科医を目指すことになった1つの理由でもある。
「でも、思いっきり感じたら感じたで、まじ苦しいこともあるんすよ。」
しかしその苦しみ方は、前向きな苦しみ方なのである。
お酒のチカラ~忘れたい過去~
僕はお酒に弱い。
ビールなんて一缶飲んでしまえばフラフラだし、
日によっては一缶でトイレでリバース。
お酒飲んで楽しいなんていう人の気持ちが分からないし、
ストレス発散なんてもってのほか。
って思ってたんですけど、
時には飲んで嫌なことから逃げたくなる日もあるんですね。
グビグビっと、缶チューハイを一本。
フラフラ。
「つらいよー、つらいよー」ってうめきながら布団の中へ。
たぶん病んでる今日この頃。
なかなか消えない苦痛ってあるんだなー。
よくある名ゼリフ、
「時が解決してくれるよ」
って、
あとどれくらい時間がかかるんだろう・・・
純愛主義
結局男はエッチがしたいだけなのか?
最近いろいろな人のブログを見て、勉強しております。
世の中には、僕とは感覚が違う人達がたくさんいるなぁと。
んで、上のような疑問がわきあがりました。
それでいて、なんとなく自分を粗末に扱い、大事にしてない人がたくさんいるんじゃないか?
そんな気がします。
過度に傷つくのを恐れる余りに、自分の感情をごまかしている人達。
自分が惨めになりたくないから、傷ついた心に言い訳をする人達。
裏切られるのが怖いから、利益のない優しさを無駄だと思う人達。
「こう生きることで私は幸せなんだ」、そう自らに思い込ませている人達。
僕はこんな人たちを、自分を粗末に扱っている、そう感じるのです。
みんな本当は、セカチューみたいな純愛に憧れているんじゃないかなぁ。
本当は身も心も、大切な人のためだけに捧げたいんじゃないかなぁ。
思いっきり素直に感じればいいわけです。
思いっきり傷ついて、泣けばいいわけです。
心のある場所と、体のある場所は、同じでなければならないんです。
体の関係は、そんなにたやすくもってはいけないんです。
僕らは性の欲にふりまわされてはいけないんです。
何を純粋ぶって、この偽善者め
こんなふうに、僕を気持ち悪がる人もいると思うし、実際自分もどこかでそれを感じています。
でも、自分の欲に耐え、打ち勝ち、
「これじゃいけない、このままじゃいけない」
と強く思う人たちによって、世の中はかろうじて成り立っているのだと、僕は思います。
そして、そういう人たちによって、歴史は作られていくのだと思います。
そしてそう感じる人たちは、決して僕だけではないはず、ってことも。
話が大きくなってしまいましたが、僕は純愛を求めたい。
そんな話あるわけがない、なんて諦めたくない。
結局エッチがしたいだけ、じゃない男の人も、いなくちゃいけないと、
そう思うわけです。
