感じること、感じないこと、精神分析者フロイトに教わったたこと
僕はいつのまにか、自分の感情を押し殺し、
感じないように生きようとしてしまうことがある。
感じないことが楽であり、
そういうことに振り回されず、
自分のやるべきノルマや目標に向かい、淡々と打ち込むことのほうが、
圧倒的に楽であり、そしてそのような生き方は立ち止まることをしらない。
少し前までは、そのような生き方が理想であった。
いちいちあらゆることに敏感に反応することなく、
どんな出来事に巻き込まれようと自分を絶対的に信じ、
図太く生き、
傷つくことを知らない心。
そう、精神的なタフさとは、どんなことがあっても傷つかない心であると思っていたのだ。
小さい頃から、死ぬほど胸が痛むことが多かったような気がする。
何度も何度も傷つき、苦しみ、そしてそれを話す相手も術もなく、
ただ悶々と悩む。
なぜおればかりがこんなに苦しいんだろう。
なぜこんなちっぽけなとことで苦しみ、立ち止まっているんだろう。
何度も死にたい、自殺したい、そう考えていたようである。
もう傷つきたくない、苦しみたくない、
それを解決するために僕がしたこと、
「心にフタをする」
ことであった。
自分から湧き上がる感情を全て押し殺し、
僕は感情なんかに振り回されない、冷静で知的でクレバーな人間を、
「装う」
ことであった。
これが全てを解決してくれると思った。
感情を押し殺す、何て素敵な方法かと、自画自賛であった。
しかし、そこにある落とし穴に気づいたのは、
「心にフタをし」、「装う」ことを始めて、4年余りの月日が経ってからであった。
結局押し殺した感情は、自分の心に、生ごみのように溜まり、そして異臭を放っていた。
押し殺した感情は、決して僕の肥料にはならずにいた。
積もり積もった感情によって、僕の心は破裂しそうになっていた。
そしてその異臭と莫大な量の心の生ごみに、僕は押しつぶされ、
生きることをやめようとしていた。
フロイトの語った人間の無意織、
それは押し殺した感情そのものであり、
人は時に、感情を押し殺していることにすら気づかない。
僕らを苦しめているのは、その無意織そのものであるのに。
フロイトに学んだこと、それは、
しっかり感じる、
ということに尽きる。
どんなにつらかろうと、感情を押し殺してはいけない。
いったん感情を押し殺してしまえば
その苦しみは耐えがたく、生きることに喜びを感じれなくなる。
その押し殺した感情は、心を蝕む毒となり、そして最終的には心を再起不能にする。
感情を押し殺すということは、その位の殺傷力を持っていると覚悟しなければならない。
確かに全てを感じたほうが、人生はポジティブだ。
楽しいとき、悲しい時、気持ちいいとき、苦しい時、
全てを思いっきり感じることのほうが、僕は人間でいれるような気がする。
フロイトについて僕はよく知らない。
しかし僕の人生を劇的に変えてくれた。
僕が精神科医を目指すことになった1つの理由でもある。
「でも、思いっきり感じたら感じたで、まじ苦しいこともあるんすよ。」
しかしその苦しみ方は、前向きな苦しみ方なのである。