不器用な生き方 -2ページ目

自分を愛する

自分が、すごく小さく見える。

周りに敏感で、ビクビクしてて、失敗を恐れ、嫌われることを怖がる。

そんなのかっこ悪いから、精一杯の虚勢を張り、毎日生きるので精一杯。

一日が終わり、そして今日もつぶやく、「これでよかったのかな?」


僕はかっこつけずに自分らしく生きる、ということを学んだはずでした。


実際、何かに悩んでいる人に出会えば、

「いいんだよ、君は君のままで。

そう感じたのがあなたなんだから、そんな自分を肯定してあげなきゃ。」

なんて都合のいいことを言っている自分がいます。

そんな僕は、自分を肯定してあげてるのだろうか?

僕はよく、そんな疑問にぶち当たります。


「自分をもっと好きにならなきゃ」

なんていう無責任なアドバイスが嫌いです。


「私は自分が大好き」

なんて言える人間なんて、そうそうこの世にはいない。

みんな虚勢を張りながら、それでいて自分をごまかし、繕いながら生きてる。

僕にはそう見えます。


すべての人間は生まれながらに

かっこいい人間とそうでない人、

能力を持つ人持たない人、

金のある人ない人、

地位を持つ人持たない人、

ある程度決まっていて、それはどうしようもない事実。

僕らは、なかなかそれらに目を向けないようにしている。

だってそれってどうしようもなく怖くて、寂しい事実だから。


よく言われることだけど、結局人間生まれながらに平等なんて大嘘。

分かってて、そして目をつぶる。


その事実に目をむけ、受け入れる恐怖に打ち勝てば、僕は幸せになれるのかな?

認めてしまえば、その先にはもっと恐ろしい現実が待っているんじゃないかな?

そんなんだったら、やっぱり目をつぶっていたほうが楽なんじゃないかな?


僕は今だに、人は平等でないという真実に気づきながらも、

その真実を受け入れることを拒否しながら生きています。

そんなこと認めちゃったら、

生きることに自信を失ってしまう

僕って結局、生まれながらにその程度の人間だと思うから。


僕も生きていたいんです。

だから今は、虚勢を張って生きているんです。

不安なんて表にだしちゃ、人は幸せにできないと思うから。


青いと言われるかもしれないけど、僕は出会う人すべてを、幸せにしたい。

結局は、そんな単純な願いが、僕の虚勢に、強がりに力を与えているのかもしれません。


そんな自分のことを、いつか好きになれるかも、肯定できるかも、

そんな気もしているんです。

そんなにSEXがしたいのか?

僕のチョームカつくもの、それは女に不誠実な男です。


それは、ムカつくを通り越し、怒りを覚えます。

体目的、一回だけの遊び、浮気相手、数ある女のうちの一人、

女を自分の都合のいい性的性的遊び道具として利用したがる男が、憎いのです。


なぜ憎いのか?

単なる正義感を振りかざし、かっこつけているだけ?

ほんとは自分も女で遊びたい

不誠実に青遊べるほど女にモテない自分の、他人に対するひがみ


分かりません。

それもまったくないとは言えません。

しかし男にもて遊ばれ、そして悲しむ女の人の悲しそうな目は、

僕の心を強く苦しめるのです。 


胸が、痛くなるんです・・


女で遊ぶ男の行動には、必ず裏切りがついて回ります。

体が目的なのに、さも愛しているかのように振舞う。

彼女がいるのに、他の女を求める。

時には、信頼している友人も裏切る。


誰にもばれなきゃいい??

それはそれで、自分自身を、そして信頼されている人全てを、裏切っています。


女の人に不誠実な行為を取る、男たち、


胸は痛みませんか?


あの、裏切られ、涙を流す女の人の眼を見て、


罪の意識は生まれませんか?

僕は今だに苦しいのです。

自分の愛した人が、男に遊ばれた。

その痛みが、消えないのです。


感傷ぶった自分が嫌になります。

しかし、僕の気持ちに

嘘はありません。


不器用、なんだよね・・・





いつかは皆、土に還る

いつかは皆、土に還る。

貧乏も裕福も皆、土に還る。


(これは、好きなバンド、10-feetの曲の歌詞から一部抜粋させていただいております。)


この歌詞には、よく勇気付けられていました。

人生の全てを語っているような深い文章、僕にはそう感じます。


どうせみんな死ぬんだ。

貧乏も金持ちも、

ハンサムも不細工も、

黒人も白人も、

おかまも風俗嬢も、

太った人もやせてる人も、

夢を見続ける人も全て投げ出してしまった人も、

いい奴も悪い奴も、

生きたいと願う人も死にたいと願う人も・・・


いろんな人がいてみんな違う。

僕はその中のちっぽけな一人。

僕が死んだからって何も変わらない。

僕が行きてたって何も変わらない。


それがどうした!!

どうせ死ぬんだから思いっきりやっちゃえよ!!


こんなんが僕の解釈。

作者の意図に沿ってるかどうかはわからないけど、僕はそれでいい。


どうせ死ぬんだよ

その言葉が死ぬ言い訳じゃなく、生きる力になればいい。

僕はそう心から願う。


僕は一生思い続ける。

どうせ死ぬんだったら死ぬ気でやってやる!!!


生き方

世の中には、様々な人がいます、
なんてこんなありきたりの言葉で何を伝えたいのか、まだ自分でも分かりません。
ただ言えるのは、全ての人が自分と同じ感覚を持っているのではなく、
感じやすい人と図太く生きている人の二つに分かれるということです。


悲しいかな、私は感じやすい人です。
自分でもそう思いますし、周りの人にもそう言われるので、間違いないと思います。
見逃してもいい場面、聞き逃してもいい言葉、ありふれた日常、
いちいちそれらに反応し、何かを感じてしまう。
そして考え、悩む。
そして怒り、悲しみ、自分とは関係ないところで起こる現実に振り回され、苦しむ。
自分に関わればなおさら苦しむ。
そしてそれを吐き出す場所もなく、その術もなく、ただ悶々と自分と向き合うのです。


そのようにして生きてきた22年間。
これからもそう生きていくしかないんですよね。
仕方ありません。

何度も感じないように、感情に振り回されないように頑張ってきたんですよ。
でも、それはただ感情を抑圧してるに過ぎない。
それに気づいた時は、なぜかうれしく、救われた気がしました。
私は、たくさんのことに感じながら生きるしかない、
そう割り切れたからです。


割り切りながら生きていきますよ。
だからこそ見える世界、語れること、聞けること、理解できること、
そういうものがあるはずですから。