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あわ先生

『自分のことが
可愛くなるほど大好きになります!!』

『感謝してます☆彡』

☆ただしい人からたのしい人へ☆
  小林正観さん著より

【幸せは感じるもの】

「幸せ」というものを追い続けていった結果、私の中でわかったことがあります。

それは、すべての人が指をさして「これが幸せだ」と言える事物や現象は地球上に(宇宙にも)存在しない、ということでした。

「幸せ」というのは、その人が「幸せだ」 と思ったら、その人にのみ帰属して存在する、というのが私が到達した宇宙的な結論なのです。 

では、「幸せ」は「感じるもの」であるならば、なぜ皆がそれを感じることができないのでしょうか。

「幸せ」の構造は大変簡単であるにもかかわらず、多くの人が「幸せ」を手に入れているとは思えません。

なぜか。 

それは、「競うこと」「比べること」 「争うこと」を前提として生きることを教え込まれてしまったからです。 

人と競うこと、比べること、争うことで人より抜きん出て、初めて「えらい」とか「立派だ」とか「素晴らしい」という評価をされる、という価値観で生きる日々を送ってきました。 

もともと学校教育というものがそうでした。 

「相対評価」というものでクラスの中の上位何%にいる人を「5」、下位何%にいる人を「1」とランク付けし、そのランク付けの競い合いの中で人材を育成するという教育方法を日本の教育界はとってきたわけです。 

その結果、私たちは「幸せとは、競うこと・比べること・争うことで初めて手に入るのだ。 人より抜きん出て、勝ち続けることが、幸せを手に入れる唯一の道である」と信じ込まされてきました。 

「優勝」という言葉は、実は「優勝劣敗」という四文字熟語の上の二文字です。

「優勝劣敗」 とは、つまり「優れたものは勝ち、劣ったものは負ける」という思想です。

あまり楽しい言葉ではありません。

しかし、私たちは「勝つことが正しいことであり、勝つことや抜きん出ることが優れていることの証である」と教え込まれてきました。 

その20世紀的な価値観から、そろそろ抜け出してよい時期に来ているのではないでしょうか。 

21世紀は「競うこと」「比べること」「争うこと」を基礎的な価値観とするのではなく、 「競わないこと」 「比べないこと」 「争わないこと」を基礎的な価値観とすることはできないものでしょうか。 

競うことではなく、自分が楽しいと思えるような(この瞬間だけでなく、未来にわたって継続できるような、楽しい) 生き方をするということにほかなりません。 

自分の生活の中で「他人と比べない」「世間と比べない」ということが身についたら、生きることがどれほど楽になるかわかりません。

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こんな寓話がある。

ある旅人が、町の入り口に座っているおじいさんに話しかけた。

「この町はどんな町ですか?」

おじいさんは
「あなたが今までいた町はどういう町でしたか?」

旅人は
「とっても嫌な人が多く、ぞっとするような町でした」

おじいさんは
「ああ、この町も同じで、ぞっとするような町でしょう。」

するとほどなくして、別の旅人が来てまた、おじいさんに同じことを尋ねた。

おじいさんは
「あなたが今までいた町はどういう町でしたか?」と尋ねた。

すると、別の旅人は
「すごくいい人ばかりで、毎日がとても楽しかったです」

おじいさんはニコニコしながら
「この町も同じで、とってもいい人ばかりでしょう。」
と答えたという。 

どんな町にも、いいところと悪いところはある。

いいところばかり見て暮らしている人は、どこへ行ってもいいところを探し出す。

ダメなところばかり見て暮らしている人は、どこへ行ってもダメなところばかり探してしまう。

仕事も同じだ。

「仕事」の中に「楽しい仕事」や「つまらない仕事」があるのではない。

その「仕事」を楽しいと感じる(楽しくしている)のか、つまらないと感じる(つまらなくしている)のかの違いがあるだけだ。

面白くしようとしている人には、面白いことが起こる。

「競うクセのある人」 「比べるクセのある人」 「争うクセのある人」は、いいところを見つけ出したり、探すことができない。

「競わない人」 「比べない人」 「争わない人」は、いいところを見つけたり、探すことができる。

すべては、見方次第、感じ方次第なのだ。

これは、「幸せ」の構造と同じ。

「幸せは感じるもの」という言葉を胸に刻みたい。


◇白光の誓い◇
 
自分を愛して、
他人を愛します。
やさしさと笑顔をたやさず
人の悪口は決していいません。
長所を誉めるように努めます。
 
 
 【斎藤ひとりさん公式ブログ】

https://ameblo.jp/saitou-hitori-official/entry-12852964337.html

「受け入れ」「認め」「許し」「愛する」


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☆宇宙法則で楽に楽しく生きる☆
  小林正観さん著より

【柔らかで温かな人間関係】

人間関係のトラブルを解決するために、ほとんどの人は、相手を説得しようとします。

「正しいことを言えば、わかってもらえる」とか「常識的なことだから正しい」と考えてしまいます。 

しかし、人はいつも正しいことを受け入れるのではなくて、温かいものを受け入れるのです。 

人間関係が柔らかく温かいものであれば、問題は必ず解決されますが、その人との関係がうまく形成されていなければ、いくら正しいことを主張しても、相手は聞き入れてはくれません。 

何を言うかより、まず先に、人間関係を築くことが大切です。 

私たちは、人に動いてもらう方法として、説得力を磨くという方法を今まで教わってきましたが、これとは別に「温かく柔らかな人間関係をつくる」という解決方法を覚えておくといいですね。 

たとえば、親だから偉いということではなく、親は子どもからいかに慕われるか、ということです。 

子どもは、そもそも親を慕うようにできていますから、これからは子どもを言い聞かせて教育していくという発想よりも、親が「実践者」として、子どもにとっての見本になっていくことをお勧めします。 

親子関係がいいものになれば、ほかの部分もうまく回っていくから不思議です。

親子関係がきちんと構築できて初めて、その延長として、周りの人間関係もスムーズに流れていくように思います。 

まずは、いちばん身近な人間関係を見つめ直し、築いていきましょう。

子どもはそれを教えに来てくれている、とても貴重な存在だと思うのです。
 
《正しいことを受け入れるのではなく、温かいものを受け入れる》 

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「近き者説(よろこ)び、遠き者来(きた)る」という論語の中の言葉。

『葉公政(しょうこうまつりごと)を問う。

子曰(しいわ)く、「近き者説(よろこ)び、遠き者来(きた)る」』

葉公が孔子に政治の要諦(ようてい)を質問した。

孔子がいうには「近くにいる民が喜び幸せであるなら、遠くにいる民もそれを聞いて集まってくる」、と。

身近な人や、自分の周囲にいる人を幸せにできない者は、遠くの人を幸せにすることはできない。

自分のまわりの近しい人間関係がゴタゴタ続きでうまくいっていない人が、もっと遠くにいる人を幸せにすることなどできようがないからだ。

もし、家族や友人といった身近な人間関係が冷え冷えとしたものだったら、それをとりまく遠くの人間関係はもっと冷たいものとなる。

柔らかで温かな人間関係の基本は、「和顔愛語(わげんあいご)」。

和顔とは、優しい顔、笑顔のこと。

愛語とは、優しい言葉、愛情と思いやりにあふれた言葉。

否定語ではなく肯定語を多用すること。

たとえ、親子のような親しい間であっても、丁寧で思いやりあふれた言葉を使うこと。

そして常に、明るくて機嫌がいいこと。

まず、身近なところから…

柔らかで温かな人間関係を築きたい。
 

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☆活学新書 山岡鉄舟 修養訓☆
  臨済宗全生庵住職
   平井正修さん著より

【冷暖自知】 

《水ノ口中、二入
冷暖自知、スルガ如シ》

(みずのこうちゅう、にいり、れいだんじち、するがごとし)
     山岡鉄舟

(水が冷たいか温かいかを知りたければ、実際に飲んでみればよい。)

ここにある「冷暖自知」はよく使われる禅語。

置いてある水が温かいか冷たいかといわれても見ただけではわからない。

ではそれを知るにはどうしたらいいかというと、手を突っ込むか飲んでみればいい。

そうすれば自ずから冷たいのか温かいのかわかる。

つまり、外側から見ているだけで、「あの水は冷たいだろうか温かいだろうか」といくら考えたところで何も始まらない、ということをいっている。

我々は本を読んだり人の話を聞いたりして学ぶ。

すばらしい本を読み、すばらしい話を聞くと、感動して何か自分がステップアップしたような気になる。

しかし、それは勘違いだ。

その瞬間は確かに感動したとしても、それだけで人が成長するものではない。

古典の名言をいくら覚えても、それだけでは賢くはならないのと同じことだ。 

大切なのは、感動した言葉、感動した話をどのように自分の日々の生活に取り入れ、生かしていくのかということ。

自ら体験することによって、その言葉の意味を「こういうことだったのか」と自覚していかなければなんにもならない。

それが「冷暖自知」ということである。

ところが、得てして人は感動しただけで終わってしまう。

それでも知らないより知っているほうがいいかもしれないが、それだけではもう一つ物足りない。  

全生庵では今、月に二回、安岡正篤先生のお孫さんの安岡定子さんに来ていただいて子供たちに『論語』を教えている。

『論語』の素読を一時間、そのあとに十五分ぐらいの坐禅をする。 

子供に『論語』を教えてもしょうがないという人もいる。

確かに素読というのは言葉だけを反復して覚えていくから、子供たちには字面上の意味だけしかわかるまい。

あるいは字面上の意味すらわからないかもしれない。 

だが、今はわからなくとも、ある年齢に達してさまざまな経験をしていく中で、ふと「そういえば昔、『論語』を教わった中にこんな言葉があったな。ああ、あれは今自分が体験したようなことをいっていたのか」と気づいてもらえばいいと思っている。

そこで初めてその子にとって『論語』というものが生きてくる。 

だから何も知らないよりは知っていたほうがいいには違いない。

ただし、子供のうちはそれでもいいが、大人になってから物を読み、あるいは話を聞いて感動したというのであれば、それが自分の中で生きた言葉となるように、積極的に実践していくこ とが大切だろう。

せっかくの学問、「冷暖自知」していかなければ学んだかいがないというものだ。

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行徳哲男さん
こう語っている。

「現代人は考えすぎる。
しかし、考えて解決する問題など皆無である。

問題を解決するには行動するしかない。

考えることは行動にブレーキをかける。

考えるから行動しない。

行動渋滞が起きる。

行動しなければ証は何も得られない。

禅の教えにもある。『行ずれば証はそのうちにあり。行ぜずして証は得ることなし』と」

どんなことも、やってみなければわからない。

頭の中でこねくりまわしているだけでは、物事は、1ミリたりとも動かないからだ。

考えれば考えるほど、動けなくなる。

そして、一歩動けば、そこから勇気が湧いてくる。

勇気は、行動することによって生まれるからだ。

「道徳とは、自分が行うべきもので、人に対して、説教すべきものではない」

と言ったのは、森信三。

すべての格言や、箴言もまた、かくの如し。

「冷暖自知」
黙々と実践する人でありたい。


◇白光の誓い◇
 
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