昭和55年 夏。大好きな入道雲はビルに遮られて見えない。智恵子抄では無いけれど見上げる青は、色褪せていた。岩田屋伊勢丹の地下街はセンタープラザというテナント街で噴水の前で熱く火照った身体を冷ましながらの一服は頭がクラクラして別世界に訪れた感覚だった。周囲の視線も気にならなくなっていた。目をギラギラさせた痩せこけた糞ガキが半人前の分際で一人前を気取って美味くもないホープを味わう演技はまるで素人芸人。見せ物小屋の蛇女に自身を重ね合わせていたのだろう。今朝 自宅療養中の立場故に、家族が朝食の傍ら視聴していたテレビの番組から某お笑いタレントの自伝の情報が流れていた。幼い頃 彼もホームレスだったらしい。物珍しそうに コメンテ一タ一が会話していたが、そんなに珍しいものでもないぜ。少なくとも俺の周囲には俺も含めて二人は居たぞ。まあ どうでもいいけど……。 王君の奢りでセンタープラザにある京屋うどんで彼と最後の会食をした。素うどんだといって馬鹿には出来ない。スープのダシがしっかりして旨いもんだ。生まれつきの大富豪には この味わいは解るまい。旨い料理ばかり口にしてたら舌が麻痺してしまう。ご馳走はたまに食するから旨いんだ。最後のスープを呑みほし店を後にする。階段上の出入り口から焼けつくような風が俺たちの横を通り過ぎていく。もう すぐ二人のありふれた夏は終わる…。
俺達が ふらつき回るのは、昼間は裏通り。夜がメインストリート。 王君の家を出て辛島町にある岩田屋伊勢丹というデパートまでを往復するパターンが基本形であった。アーケ一ドを右から左、左から右へ くねくねと歩く。二人の目的は違えども、辿り着く為の手段は この徘徊から全てが始まる。国家権力に屈する時は刻々と近づいているのも知らずに 青春時代の思い出としては何の問題も解答も何の原因も結果も無い 悲しい時間だけを流れていた様な気がする。だけど、無意味に思える王君との2ヶ月間の生活だけど 心のスクリーンには まるでギャング映画のように綱渡りのスリル的な映像ばかりが鮮烈に映し出される。何の解答も出なくったっていい。痺れるような現在があればそれでいい。人生の回り道って決して無駄な事ではないんだ。必ず何かを得ている。その何かに気付くか気づかないか。ただ それだけのシンプルな法則の下で答えを探していけたらいい。自分自身の幸福の価値観の許容範囲の中で呑むだけ呑んで打つだけ打って買うだけ買って吸うだけ吸って笑うだけ笑って泣くだけ泣いて、歯を食いしばって死んでいくさ。42年も生きていると時間の絶対量というのが自然と肉体に染み込んでいるものだ。親父と爺さんは62歳で死んじまった。俺の寿命の数値にそいつを代入したら残りの人生は21年。福岡で生活を初めて今年で21年目。おおよその時間の長さは見当がついてしまう。その日が訪れるまで寄り道を繰り返して生きていく事にしよう。全力で王道を駆け抜け続けるなんて無理なんだ。いかにして自身の人生に後悔を残さずに死に様を迎えるか。そのテーマに沿って本日も闘争を開始する事にする。
王君の母親は俺に大変良く世話をして下さった。女手ひとつで王君を養って居られた。関西から熊本へ越して間もなく夜の仕事で生計を立てていらっしゃった。中でも一番記憶に残っている出来事は仕事帰りの料理屋でお好み焼きを買って来て貰ってご馳走になった事だ。とにかく ハングリーな夏だった。幾つもの思い出をかき集めているが映像の中の俺は どの場面でも腹を空かしている。俺の育った街には たこ焼きはあったけれど、お好み焼きは無かったのだと思う。それ以前の記憶に食べたという認識が無いから……。いや、仮に食べた事が有ったとしても あの夜に食べたお好み焼きの鮮烈な美味しさの前に記憶から消去されてしまったのだろう。 「デラだから高かったけど本当に美味しいよ」 関西弁に転換出来ないけれど「熱い内に食べなさい。」と声を掛けて頂き ワンパックの包みの中身を王君と半分 に分けてご馳走になった。俺も親となり あの夜の見えなかった親心が有り難く感じている。恐らく あのお好み焼きは、王君親子の遅い夕食だったのだろう。「私は食べて来たがら 二人で食べなさい。」…… あの時のお好み焼きの味を俺はいつまでも忘れる事はないでしょう。