俺達が ふらつき回るのは、昼間は裏通り。夜がメインストリート。 王君の家を出て辛島町にある岩田屋伊勢丹というデパートまでを往復するパターンが基本形であった。アーケ一ドを右から左、左から右へ くねくねと歩く。二人の目的は違えども、辿り着く為の手段は この徘徊から全てが始まる。国家権力に屈する時は刻々と近づいているのも知らずに 青春時代の思い出としては何の問題も解答も何の原因も結果も無い 悲しい時間だけを流れていた様な気がする。だけど、無意味に思える王君との2ヶ月間の生活だけど 心のスクリーンには まるでギャング映画のように綱渡りのスリル的な映像ばかりが鮮烈に映し出される。何の解答も出なくったっていい。痺れるような現在があればそれでいい。人生の回り道って決して無駄な事ではないんだ。必ず何かを得ている。その何かに気付くか気づかないか。ただ それだけのシンプルな法則の下で答えを探していけたらいい。自分自身の幸福の価値観の許容範囲の中で呑むだけ呑んで打つだけ打って買うだけ買って吸うだけ吸って笑うだけ笑って泣くだけ泣いて、歯を食いしばって死んでいくさ。42年も生きていると時間の絶対量というのが自然と肉体に染み込んでいるものだ。親父と爺さんは62歳で死んじまった。俺の寿命の数値にそいつを代入したら残りの人生は21年。福岡で生活を初めて今年で21年目。おおよその時間の長さは見当がついてしまう。その日が訪れるまで寄り道を繰り返して生きていく事にしよう。全力で王道を駆け抜け続けるなんて無理なんだ。いかにして自身の人生に後悔を残さずに死に様を迎えるか。そのテーマに沿って本日も闘争を開始する事にする。