久留米の街に差し掛かった位から雲の切れ間から真夏の強い日差しが ちょくちょく顔を出すようになった。窓を開けていても 汗が滲み出てくる。やはり こうでなくてはいけない。蝉たちも渾身の力を振り絞って生命をアピールし始めた。少しばかり ぬるくなったトマトジュースを一気に胃袋に流し込み ラジオの周波数を自動調整する。この付近はいつも 電波を拾う事が出来ないので 自然とBGMは自身の渾身の鳴き声となる。オ一プニング曲は「悲しき3号線」。ご機嫌な真っ赤なポルシェのような軽自動車は減速しながらパチンコ店の物色を開始する。といっても道沿いの左側にある一件目の店に入ると決め付けてあるので困難な作業でもない。蝉たちと俺の鳴き声が微妙なバランスで曲を終えると左手にチェーン店らしき名前が見えた。耳に挟んだ煙草をくわえながらハンドルを左へ切る。すると目にした光景は驚愕に値するものであった。何と開店5分前の時間にも関わらず既に100人以上の客が並んでいるのである。この時点で俺のこの店での勝利が確定する。行列を避けるように 少し離れた場所に真っ赤なポルシェのような軽自動車を停めて 先程くわえた煙草に火を点けた。行き当たりばったりの展開なので 客が店に入ってしまってから 方針を決めることにしよう。それまでの時間は 何も考えずに周りの景色と行列のモラルでもチェックしながらやり過ごそう。煙草の火を消しトマトジュースの最後の一滴を飲み干した頃には行列も殆どが店内へと入場していた。まだ おぼつかない足取りで列の最後尾へと向かう。それにしても この客の多さは異様だ。店内に入ってひととおり シマをぶらぶら廻ってみる。イベントらしき店内放送は流れているものの新装の類いではないらしい。閑古鳥が鳴いているパチンコ店が多い中で よほど甘い営業形態なのであろう。俄然やる気になった。こういう場合は客付きの良いシマの残りものをうてば 大した失敗も無く あわよくば拾い出しの お宝台と遭遇する可能性もある。この店も多分に洩れず海物語のシマがおおよそ客で埋め尽くされている。その中の318番台と心中する事に決め席に座った。この状況ではもう台の移動は無理だろう。稼働も上がり空き台となるのは クズ台のみとなるはず…よって この台がどれ位廻るかによって結果は決まる。千円札を台のサンドに飲み込ませ玉に換える。すると どういう訳か玉が異常なほどに溢れ出てきた。一瞬時が止まる…。二つに一つの結論でしかない。貸し玉機が壊れているか 大嫌いな一円パチンコか。大体の流れで結論を出すとするならば99%の確率で後者であるし 実際そうであった。戦闘開始十秒での戦意喪失である。周囲の客の態度と裏腹にガックリとうなだれながら打ち出した。しかし、回転率の方は上々の出来映えだ。皮肉なものである。最初の大当たりは3500円で引いた。200前半の回転数だった。よって17、8回/250個位のペースの回転率という事になる。図柄は4と5のWリーチから確率変動の方を射止めた。一円パチンコが大嫌いでも当たれば嬉しいものである。よし!目標20連チャンだ!と意気込むはいいが次の図柄は あえなく「2」 ノーマルリーチからマンボウがここぞとばかりにピタッと停止した。その瞬間確かに俺は見た。マンボウの奴がニヤリと笑ったのを…。「もう 止めた 止めた!」100回時短が終わり上皿の玉を引く。恐らく千円ほどの負けだな。などと見積もりしていたら最後の保留で魚群発生!図柄は先程ニヤリと笑ったマンボウである。まさしく本日の流れを左右する瞬間が展開される。しかし 奴はオーバーランしちまった。つぶらな瞳は残したままで…。「オーマイゴッド。」 心の中で天を仰ぎ 隣りの台の大当たりを見せ付けられて あえなく店を後にする。換金したら600円のマイナス。午前中で旅うち終了。高速道路に飛び乗り今度は北に向かってアクセル全開!ミルク色の空を目指して真っ赤なポルシェのような軽自動車は風と同化する。口ずさむ鼻唄は昼過ぎだけど「夜のハイウェイ」……………。夏の 何の変哲もない思い出と姿を変えて今日のメインイベントは終了した。
暇を持て余した俺はとりあえず車を南へと走らせていた。大宰府インター沿いの3号線バイパスを時速120キロでブッチギリ熊本方面へと急ぐ。目的も予定も無い。だがアクセルを限界まで踏み込み真っ赤なポルシェのような軽自動車はポールポジションを獲得したレーサ一が後続車を引き離すが如く加速を続ける。鳥栖までの約20キロの距離をまるでコンコルドのようなスピードで走り抜き やっと赤信号で車を停止させる。右手にみえる丘の上に並ぶ住宅街を意味無く睨みつけて自分に酔いしれるように煙草に火を点ける。内心穏やかなくせにアウトローを気取る。そのアンバランスな精神状態が決めかけた目的地を素通りさせてしまう。昨夜 眠れず昔読んだ本を枕元に重ねて 不眠のまま朝を迎えた。心に火を点けてしまったのは田山プロのパチプロ日記。やっぱり いい。昭和から平成にかけた時代が流行歌のイントロ付きで蘇ってしまった。一度だけ田山プロに逢える機会があった。福岡の街で生活を始めて間もない頃に出張で新横浜駅付近にやって来た。バブル時代の後半だったと記憶している。桁違いの洒落た都会の風景に彼女との暫しの別れも忘れたもんだ。田山プロは当時 雑誌の中で池袋で羽根物を打っていたと思う。憧れのスターに対面出来る数少ないチャンスに胸は躍った。特急列車に乗れば一時間程で到着するであろう情報を脳裏に刻んでその日を待っていた。しかし 田山プロと会う事は氏が逝ってしまった現在では夢となってしまった。出張2日目の宿泊先の旅館の夕食時に報じられていたニュースから尾崎豊死亡を知らされる。もの凄いショックを受けて 廃人の如く泣いた。落ち着きを取り戻しても無情の寂しさは消える事は無かったし 酔う事も出来なかった。出張の最初の土曜日がやって来た。ムッチ一さんに連絡を取った。彼も寂しそうだった。ムッチ一さんの兄であるTomo君が本牧町に住んでいたので私鉄を乗り継いで彼の住む街に向かったのだがTomo君が仕事を終えて駅まで迎えに来てくれたのは土曜日の午後と日曜日の朝の間であった為、エキサイティングな一時をあじあわせてもらった。その相手は外国軍人であったり 地肌にカラフルな衣装を描いている人たちであった。その頃の俺は九州一の酒乱であったにも関わらず生きてTomo君との再会を果たせた事は奇跡だと感じずにはいられない。手土産も無事に渡せた記憶もあるし坂道を歩いた記憶もある。しかし残りの記憶は非常に曖昧だ。駅の周辺で狂人みたいに飲ったからな。でも そんな週末のお蔭で残り一週間の仕事も片付けて無事に彼女の待つ福岡へ帰れたのだろう。赤いポルシェのような軽自動車の中でそんな事を思い出しながら信号が青になるのを待っていた。ほんの僅かな煙草一本程の時間でスケジュールを決めた。3号線を南に向かってまた アクセルを踏み込んだ。台風一過の曇り空、蝉たちも鳴りを潜めている。
人間とは感情の生物である。しかし、心の奥の一番深い場所に陣取っている信念という俺が俺である理由の一つに勝る事は不可能だった。逃げる事も隠れる事もしない。逆境だろうと不運だろうと何でも掛かって来い!人間は底辺まで落ちて性根を据えた瞬間に勝利が確定するって事を思い出した。ああ…俺は初老のヨボヨボボクサー。ハングリー精神も忘れかけて 豚のように太り、落ち武者の晒し首のように禿げあがってはいるが まだ大丈夫だとほざく自信に嘘は一切無い。自分を信じて生きていくのがどれほど しんどいか。よくわかっている。「Do it boy!」の中の親父にはなりたくないや。福岡シティでふたつしかない夏空が見える山奥にこれから向かって眠ってこよう。