暇を持て余した俺はとりあえず車を南へと走らせていた。大宰府インター沿いの3号線バイパスを時速120キロでブッチギリ熊本方面へと急ぐ。目的も予定も無い。だがアクセルを限界まで踏み込み真っ赤なポルシェのような軽自動車はポールポジションを獲得したレーサ一が後続車を引き離すが如く加速を続ける。鳥栖までの約20キロの距離をまるでコンコルドのようなスピードで走り抜き やっと赤信号で車を停止させる。右手にみえる丘の上に並ぶ住宅街を意味無く睨みつけて自分に酔いしれるように煙草に火を点ける。内心穏やかなくせにアウトローを気取る。そのアンバランスな精神状態が決めかけた目的地を素通りさせてしまう。昨夜 眠れず昔読んだ本を枕元に重ねて 不眠のまま朝を迎えた。心に火を点けてしまったのは田山プロのパチプロ日記。やっぱり いい。昭和から平成にかけた時代が流行歌のイントロ付きで蘇ってしまった。一度だけ田山プロに逢える機会があった。福岡の街で生活を始めて間もない頃に出張で新横浜駅付近にやって来た。バブル時代の後半だったと記憶している。桁違いの洒落た都会の風景に彼女との暫しの別れも忘れたもんだ。田山プロは当時 雑誌の中で池袋で羽根物を打っていたと思う。憧れのスターに対面出来る数少ないチャンスに胸は躍った。特急列車に乗れば一時間程で到着するであろう情報を脳裏に刻んでその日を待っていた。しかし 田山プロと会う事は氏が逝ってしまった現在では夢となってしまった。出張2日目の宿泊先の旅館の夕食時に報じられていたニュースから尾崎豊死亡を知らされる。もの凄いショックを受けて 廃人の如く泣いた。落ち着きを取り戻しても無情の寂しさは消える事は無かったし 酔う事も出来なかった。出張の最初の土曜日がやって来た。ムッチ一さんに連絡を取った。彼も寂しそうだった。ムッチ一さんの兄であるTomo君が本牧町に住んでいたので私鉄を乗り継いで彼の住む街に向かったのだがTomo君が仕事を終えて駅まで迎えに来てくれたのは土曜日の午後と日曜日の朝の間であった為、エキサイティングな一時をあじあわせてもらった。その相手は外国軍人であったり 地肌にカラフルな衣装を描いている人たちであった。その頃の俺は九州一の酒乱であったにも関わらず生きてTomo君との再会を果たせた事は奇跡だと感じずにはいられない。手土産も無事に渡せた記憶もあるし坂道を歩いた記憶もある。しかし残りの記憶は非常に曖昧だ。駅の周辺で狂人みたいに飲ったからな。でも そんな週末のお蔭で残り一週間の仕事も片付けて無事に彼女の待つ福岡へ帰れたのだろう。赤いポルシェのような軽自動車の中でそんな事を思い出しながら信号が青になるのを待っていた。ほんの僅かな煙草一本程の時間でスケジュールを決めた。3号線を南に向かってまた アクセルを踏み込んだ。台風一過の曇り空、蝉たちも鳴りを潜めている。