昼前 いつものように支度して玄関のドアを開けて冷たい風に融ける。 そして来月廃車となる 真っ赤なポルシェのような軽自動車を始動させる。しかめっ面を意識して本日の対策などを考えると いつものリズムへと 近づいていく。

今日はどんな出会いと どんなドラマが 俺を待っているのだろう。

二つ目の小さな交差点に差し掛かり スピードを落として 右折するときに黒猫の親子が 車の前を横切り (この展開は 注意が必要だな。)などとオカルトめいたことを考えていたら まさか 人生で二回目の 神頼みをするはめになろうとは…。


二時間後
タクシーに乗り込んだ俺は 師走のお客さんの多さにてんてこ舞いしながら 福岡国際マラソンのコースの一つである百年橋通りを西へと急ぐ。

ランナーたちの姿はまだ無く交通規制もかかってはいなくて 道路の両サイドの見物人と数メートル置きに待機している警察官の見守る無人のメインロードを 風のように突っ走る。

数千人のギャラリーを相手にかしこまった表情で間抜けなタイミングで ポツンと一台。 センターライン寄りを 何故だか誇らしげな気分で運行している俺は いつしかスポーツマンシップにのっとり 正々堂々としている。

(誰か 知人に目撃されないだろうか。あのカメラマンは俺を中継して テレビの映像に流してはくれないだろうか。)

自身のイメージに不釣り合いな状況に 身も心も高揚している。

しかし 今は仕事の途中である。

未練がましく 後ろの景色をミラーで覗きこみながら 平尾交差点を南へと曲がって大橋方面へと進路を変えた。

かしこまった表情を 基に戻して 前方の信号機の色を確認して 停止線で瞼を擦った。窓を開けて小さな深呼吸をする。車外の空気はとても冷たくて 今更ながら季節が冬だという事に気付く。
ずらした眼鏡をかけ直しアクセルを踏み込もうとしたその時 無線配車のメッセージが ナビに表示された。

(今日は スタートから順調だぜ。次のお客さんは 何処まで案内するのかな?)

配車先は今 ウイニングランのように走り抜けた百年橋通りの 向こう側にある高砂3丁目のマンションだ。
気合いを入れ直して方向を転換して アクセルを踏み込んだ。百年橋通りの平尾駅の信号機に捕まり前方の景色を確認すると ほんの五分前よりギャラリーが増えてるみたいだ。人だかりという表現は こんな時に使うのかも知れない。

先ほど開けた窓から 喚声みたいなザワメキが聴こえてきた。

(ランナーが走っているみたいだな。)

信号機が青色に変わり どのコースで高砂まで向かうのか思考を始める。
………。………。

………。



冷や汗が 一瞬にして身体中から噴き出した。

道一本先の ほんの数メートル先の目的地へ向かうルートが無いのである。

ボンクラ脳ミソを久しぶりに全開に作動させても見つからないのである。
ゲッ!これはヤバイ事になっちまったぞ。

しかし 無線配車を承った以上 打開するしかないのである。

先ほど爽快に突っ走ったメインロードの反対側の車線を今度は死人みたいな面をして 突破口を捜しつつ 走り続ける。

しかし その願いは冷たい風と喚声に呑み込まれていく。

挙げ句の果ては お決まりの渋滞が待っていた……。

(一体 何て事をしてくれるんだ!バカヤロー!この師走が始まったばかりの慌ただしい時期にメインストリートを潰しやがって…スポーツマンシップなんて糞喰らえだ!)

数分前の姿は其処には一切残っていない。

いつものキチガイドライバーに逆戻りである。


渋滞に行く手を阻まれ 打つ手も無くなった。
反対側の車線を先頭集団が 正々堂々と大喚声を浴びながらゴールを目指して走り抜けるのを横目で睨み付けて 天を仰いで溜め息をついた。

(神様。俺に車一台分のスペースの突破口をくれないかね……。もしくれるのであれば もう死ぬまで酒止めてもいいよ。タバコも我慢するし 何だってするよ。
ああ 神様。)

無常に刻まれていく時間は 遠慮などする訳もなく 全く動かなくなった
道の上で 俺は覚悟を決めて爽やかに観念した。
ギブアップである。

心の奥底で神様という 幻想を罵倒して 仕事が終わったら 腹いせに死ぬほど呑んだくれてやると誓った。

肩の力を抜き 指令センターへ ギブアップの無線報告を済ませて サイドブレーキを引いた。 喚声鳴り止まぬ舞台を
脱け殻の如く 窪んだ眼差しで見つめていたら
最初の神頼みの記憶が蘇ってきた。

あの時は虫歯が痛いの何のって 気が狂いそうな夜だったっけ。

そうそう あの時も
(神様。この痛みから解放されたならば
もう 酒止めるよ。ああ神様がもし居るのならばもう頼み事もしないし
一度だけ 願いを叶えて…)
などと 弱音を散らつかせた挙げ句に 痛みは逆にエスカレートして 心の中に居座る バカ野郎という神様に罵声をあびせたんだよな。

結局酒屋でテキーラを購入して口に含んでいたらいつの間にか
昼過ぎなのに 薄暗い景色を見ながら倒したシートに身体を埋めて 17時30分に仕事を終える女房を彼女の働く店の 立体駐車場の屋上で待っている。仕事明けの1日は相変わらず 送迎を続けている。いつもは送り届けたあとはすぐに帰宅して仮眠を取るのだが本日は どうしても帰る気にならず もう3時間も
空の表情の移り行く様を目を開けたり閉じたりして見ている。

一度だけ窓を開けてみたけど 風が冷たすぎて すぐに閉めた。

ラジオを聴いていたけど馴染めない曲ばかりが続いたので ニュースばかりを選んでいる。

少しばかり 眠ってしまい 目を開ければ 先程まで頭上で俺を睨んでいた雲は何処か遠くの街で 君を 捜している。

ああ どんなに抵抗したところで 今は冬なんだ
間違いない。

(俺の中で)冬の始まりを告げる九州場所も序盤戦を終えて 多分に洩れずに関取衆も 客として乗せた。
降りる時は 期待通りに(ごっつぁんです)と云ってもらい少し嬉しくなった。

そんな事などを考えていたら もうリミットは近づいていた。
満たされない 不完全な1日が もうすっかり闇と同化した街と共に暮れていく。

視線をネオンから商業施設の入口に移したら 見馴れたシルエットが 小走りで 近づいてきた。
ドアを開けて (今日は寒かねえ!)屈託ない笑顔で 俺に語りかけてきた。

この笑顔を見る為だけに俺は生かされているのだと改めて そう思った。

娘たちの待つ 最高のおんぼろアパートへ さあ帰ろうか。

今年も あとわずかで 終わるけど 俺たちは 何一つ終わらないし また 何一つ変わる事も無い。

肉体的に衰えていくのは仕方ない。子供たちが その代わりに 逞しく成長してるんだからな。


(今日の夕食は 鍋で良かったかしら。 )
助手席から 嬉しいセリフが 流れてきた。


そして 後二時間に 仕事を控えて 二日酔いの 今を迎えている。
アルコール検知器大丈夫かしら。

さあ 薄くなりつつあるハゲ茶瓶を整えて 街へと繰り出すか。
雨上がりの朝 仕事を終えて帰宅すると 女房と娘たちが 風呂に行く準備を整えていた。

少しばかり眠りたいという欲望を除けば 断る理由は見つからないし それに今 (次の機会にしようぜ。)などと 云うものならば 三人のクレーマー相手に闘争開始は避けられないだろう。

同じ 賛成を表明するにしても 気持ちよくしたほうが こういった展開の時はリズムがかなり良くなるという事は心得ている。

(よし!早く車に乗りな!プロドライバーが 温泉まで送迎するぜ。)

似合わないネクタイを外して腕捲りをして 停めたばかりのエンジンを再始動させて 出発した。

(お客様。どちらまで参りますか?)
冗談めかして カシコマって行く先を聞くと
(決めてない。)とのこと。(えっ!嘘だろ?)
………。

こういった状況を打開するのもプロドライバーの腕の見せどころ。

睡魔を空手チョップでぶちかまして 那珂川方面の山奥目指してアクセルを踏み込んだ。記憶の片隅に温泉の看板が浮かんだというだけなのだが…
数回カーブをやり過ごすなどして 小一時間ほどがドライバーとしての役目となり 無事に温泉施設に到着したのが11時位だった。山奥だということもあり 肌寒い。
捲った腕を元に戻して 入り口をくぐると 自動発券機がある。金額を確認すると小学生より70円の(入湯税)表示が見えたので 家族四人 顔を見合せて (安かばい!よかとこに 来たね!)
などと 笑いながら中に入ると あれ? 受付があるぞ。後ろの壁には 事細かに料金設定表が貼ってある。あらら 一人1500円だと。

こりゃ まるで詐欺だね。巷では 色んな詐欺が紙面などを賑わせているけど 貧乏家族にとってこの設定は当に詐欺そのものだぜ…此処まで来て引き下がる訳には到底なれない。
娘たちは もう 風呂場の入り口を潜ってやがるし覚悟を決めて 温泉を満喫するとするか。

確かに 充実した設備で天然の温泉が贅沢に堪能できたと思う。

電気風呂の浴槽が とても気にいった。
一時間程 色んな浴槽を試して 畳敷きの休憩室で身体を横たえて 目を閉じたら 眠っていた。

トントン。
誰かが 肩を揺すっている。重たい瞼を 開けると娘の姿が瞳に映った。
大枚6千円が女房の財布の中から別れを告げて
流れていった。

どうやら 一時間位 眠っていたらしい。頭の中がスッキリしている。

さあ 我が家の街へと帰ろうか。

温泉での 入湯は結構スタミナを使ったのか それとも 翌日も休日という安心感が そうさせたのか。 我慢してたビールも呑まずに 帰宅するとまた すぐに眠った。

目が醒めたのは 今朝5時。すこぶる体調がいい。
公衆浴場には今まで抵抗があり 敬遠していた感じがあるが これから色んな浴場を探検したくなった1日となった。