灯台の灯火 | 19660713-0713さんのブログ

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次女が大学の進学への迷いを抱える頃よりブログを書き始めました。

長女がおしゃべりでムードメーカー的でしたので、次女はいつも控えめでニコニコしてるタイプです。

とても観察力のある次女は、ニコニコしながらもしっかりと自分の意志を貫くタイプかと思います。

幼い頃から興味を抱いてました英語、中学生の頃から夏休みを利用しては、南半球での現地校にて色んな経験をしながらもやはり得るものも大きかったのでしょう。

日本を離れて学び、四年の学びを終え卒業して先週、無事帰国致しました。

最後の一年は、試験や提出物、卒論に追われ一時帰国するゆとりもなく、更には専攻に関するものなのでしょうか。人との繋がりを自らの築きで、定期的にインターンとしての仕事も手伝わせて頂いてたようです。

かつての僅かな私自身の経験も、時代も変わりますと、娘がどのように学びを先へと繋げていくのかは、あまり役にたつようなものでもなく、日々の自分の判断と気付きで前に進んでもらいたいものです。

この四年間、離れた所からただ見守ることしか出来ず、文化も言葉も異なる国で生活をしながら学位を修得する娘への不安はいつもどこかにありました。

とにかく、心も身体も健康であることの大切さ。
渡欧した年は、世の中がかなり不安定でテロなどの事件もまだ記憶に残ります。
事件や事故に巻き込まれないように、自分の身は自分で守る。
少なくとも危険な所には近づかない…
人間一人では生きていけなく、先生や友人のみならず回りの方々への感謝の気持ちを大切に…

幸い、時代の進歩で常に連絡の取り合えるLINEなどもあります。
家族のラインでのコメントやスタンプに登場します娘の存在には本当にほっとさせられます。

このように、連絡がとれるのが当たり前の世の中、逆に旅先で数日でも連絡が取れないときの動揺はかなり大変でした。

帰国のその日、成田へ無事に到着して家に戻りましたその時、本当に無事に帰国、帰宅できました感謝の気持ちで一杯でした。

大袈裟のようですが、無事に戻るその日まで、その祈るような気持ちを言葉にすると失ってしまうような…

今冷静に振り返りますと、読み返す勇気もないこのブログではありますが、ひたすらoutputとして書き続けさせて頂きました。

今思いますと、娘が読んでくれてなくても、それでもいつでも帰れる場所を知らせる灯台の灯火のようなもののつもりだったのかもしれません。

長い間読んでくださいましたご縁のありました皆さんに、心からお礼申し上げます。



人生には、予想の出来ない、あらゆることが起こります。

先日、家族でお付き合いさせて頂いてる方がいます。
私はいつもその方の後ろ姿を遠くからゆっくり追い続け、いつも勇気や笑顔を頂いていました。

つい先日も、義母と同じお歳でも自転車に乗られ、笑顔で会話を交わした友人のお母様でした。
とくに友人のことはお話されませんでした。

僅か数日後に、友人のご主人様よりご連絡を頂き、お別れに伺わせて頂きました。

森林保護などのボランティアをされながらも、山の中や日本中を何百キロも走られる凄いランナーとしての姿もあります。

でも、お子さん3人を社会人として立派に育て上げ、素敵なお母様でもありました。

"あまりにも夢中で、子育てと聞かれても必死だったことしか思い出さないわ。"

と、いつもの笑顔で答えてくれながら、ご家族の皆さんとお店や我が家にも入らしてくださいました。

本当に、女性としての可愛らしさや美しさ、心の広さや優しさ、そして秘められた強さを兼ね備えられた本当に憧れの方でした。

あまりにも突然に、そしてなぜそんなに急いで逝ってしまわれたのか、きっと多くの方の心に残る彼女の姿が輝かしく、悲しくて悲しくてたまりません。

"生きる"
とは、どういうことなのかを考えさせられます。

振り返りますと、今の自分に導いてくれたであろういくつものご縁によります出逢いと別れがあり、そしていづれは自分もおそらく何かメッセージを伝えながら次の世代へと繋げていくのでしょう。


有り難うございました。