思い返しますと既に色んなことがありました。
そして様々な方とのご縁、家族にも支えられ、今があることを心より有りがたく思います。
身体の調子に違和感を感じてました主人、現代の医学の進歩と昨年始めに主治医(執刀医)の先生とのご縁があり今があることも心よりの感謝です。
朝陽を迎えますと、その日を健康で迎えられる有り難さを感じます。
今週は、日帰りではありますが、主人の幾度かの眼(網膜)の治療が始まります。
生きてく上で、与えられました五感の大切さを改めて感じます。
義母は聴覚をほぼ失っています。
補聴器の助けにより僅かな右の聴覚と筆談で伝えます。
音のない世界はどのようなものなのでしょう。
私は視力だけは良く、その為でしょうか。
最近は近くが見えず眼鏡が必要です。(^^;
視覚を失う世界…
ふと主人と話しました。
もし全く光を失うことになったら、これから先も共に同じ方向を向いて進めるのであれば、2つある角膜の1つは譲れるかもしれない。
まったく光を失う世界は想像することはとても難しく、怖さもあります。
でも仮にそれが聴覚でしたら、譲れません。
先日、大好きなピアノでのとても素敵な出逢いがありました。
かつてもの心ついた頃から何故かピアノが大好きでした。
田舎の祖母の家にも、UPのピアノがあり、夏休みやお正月に伺うときも特に練習するわけでもないのですが、何故かほっとするのを覚えてます。
でも、小学生高学年頃から極端な上がり症になり、人前に立つと別の自分になり、表現が出来なくなるのです。
原因はおそらく、自分に自信が持てなく、そして回りの皆が凄くみえて…
自信がないから失敗するのか、失敗により自信を無くすのか、もはや分かりません。
ショパンの憧れを抱きながら、あっさり辞めました。
小さなきっかけから、ピアノを再開。
ルービンシュタインの"英雄ポロネーズ"
に憧れて、イヤホーンで演奏を聴かせて頂きながら自分の音は全て無視して弾いていました。
(小学生の頃からの憧れの曲です。)
そして義母も思うように生活が出来なくなり介護が必要になります。
そして自分の生活や時間も限られたものとなり、かつて憧れてましたホロビッツの奏でます
"喜びの島"を聴かせて頂くと何故か凄くわくわくと物事に前向きになれたのです。
何故かまた弾かせて頂きました。
…音や響きを全く無視しました、ただ自分のイメージだけで指を触れてるようなものでした。(;_;)
それで終わりにするつもりでした。
(その日に、"ミラーニューロン"のお話を頂きましたが、まさしくイメージの共感を楽しむようなものです。)
でも、気持ちを新たにピアノに向き合いたいと思う大切な瞬間、そしていくつものご縁がありました。
そして今回のこの日も、大切なものを心に刻ませて頂いた日となりました。
私は、よく無意識の感情に気づかされることがあります。
その翌日に目が覚め、主人に、
私 "何故か涙が止まらなくて…"
と伝えると
主人 "また失敗したの!
もう潮時だから諦めて辞めたら…"
いつもの会話です。
でも不思議とその涙は、かつての劣等意識、自信のなさを全て受けとめてくれ、そして流してくれるような感覚でした。
かつては、回りの人が皆、励げましてくれても信用出来なく、先生のお宅の2匹のシャム猫ちゃん達にさえ受け入れてもらえないような。
そして、何よりも自分が信用出来なく、ネガティブな感情がそのまま結果に繋がってしまう現実。
その方にお会い出来まして、いつもですと緊張すべきその場面なのですが、何故かお話を交わさせて頂きましたその瞬間から、穏やかな気持ちになれましたことを感じました。
そして眼を閉じて自分の音に向き合うことの楽しさを教えて頂いたような瞬間でした。
そして、その方のお話くださいました全てがその後の演奏くださいました曲に込められています。
シューベルトの"糸を紡ぐ…"
時の経過と感情の変化を様々な音色や響きで表現され、一瞬にその世界に引き込まれて、心に深く刻まれました。
本当に、音楽は言葉以上に伝えるパワーがあることに改めて気づかされました。
私のピアノはまだ、自らのセラピーのようなものですが、いつか音色を紡いで伝えられるものになれたらとその魔法のような日を振り返ります。
感謝です。
有り難うございました。