陣痛&不安の一夜 | やさいのほとり

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40代後半に離婚しました。
元主婦がなんとか再就職して自活。(現在は50代)
涙あり笑いありの再出発日記です^^

ブログはゆる~い駄文かな。(短歌は力入れてます)
多くの方に読んでいただけたら嬉しいです。

※5記事同時更新しております
 
出勤の1時間半前に、娘から陣痛&入院の連絡がありました。
 
いよいよかぁ(どきどき)

娘「わたし痛みに強いんだよね(幼少期からずっとそうでした)だから入院後ずっと放置されてる~」
と余裕のメッセ。
 
でも優しいMくん(ダンナくん)が初めから一緒に居てくれるのだから、不安要素なんてゼロですね。
(この時は・・・)
 
職場では昼休み以外いっさいスマホを見ないわたしも、
この日ばかりは鳴動ごとにチラホラです。
 
黙っていようと思いつつ指導係さんに話すと、声をひそめても周辺に聞こえる声の指導係さんが
100回くらいその話題を振ってきたので、嬉し恥ずかしデーでした。
 
 
娘からのLINEが途絶えたのは午後3時台。
 
きっとLINE出来ないほど痛みがきてるんだわ。
もう分娩室かな?
 
予定日より10日も早かったので、そろそろMくん(ダンナくん)とも連絡先交換したほうがいいかなと思っていた矢先のことでした。
娘本人から連絡が無ければ、様子が全然わかりません。
 
::::::::::
 
帰宅後も落ち着きません。
わたし自身は息子も娘も5~6時間で産んでいるので。
 
夜8時。
とうとう元夫に連絡を取ってしまいました。
しかしこの時はお産への心配ではなく、元夫が面会の人数制限を無視して会いに行くんじゃないかと
けん制(笑)の意味でした。
 
元夫は、病院のホームページに制限のことが書かれていないので会いに行くつもりだったとのことでした。
明日もう一度病院に確認して連絡しますねと言ってくれました。
 
 
その日が終わろうとしていましたが、娘からの連絡はいっこうにありません。
娘がLINE出来ない状況でも、生まれればMくんは絶対に何らかの方法で知らせてくれるはずなので、
長引いているのでしょう。
 
だんだんドキドキと不安になってきました。
その日は何度も眠りが途切れました。
「(Vサインなんかして)余裕をかましていてごめんなさい泣くうさぎお産を舐めていました。こんなに長くて苦しいものだなんて。辛いよ、助けて~~」と泣いている娘の姿が浮かんで、わたしも泣いてしまいそうでした。
 
翌朝、元夫にMくんの連絡先を知っているかどうか尋ねました。
長引いてることへの不安と(言っても仕方ないので)
「大きな病院だし、信じて待つしかないよね」と自身に言い聞かせるように言いました。
 
元夫は「そうですね、評判の良い病院だから安心ですね」と答えました。Mくんの連絡先は知らないとのことでした。
 
その直後のことです。
 
「やっと産まれてくれた~」と娘から連絡が入りましたクラッカークラッカークラッカー
30時間の奮闘でした。
 
そこには何とも愛らしいベビーちゃんの動画が添えられていました。
 
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先週、お産が早まることを予測したかのように思い付きで西松屋に行ったのでした。
 
マザーズバッグは、もっとデザイン性のある製品もありましたが、鏡の前でわたしがいろいろ試してみて、長身の娘が腕を通しやすい物を選びました。

息子が、月例6カ月用のを3週間目に振り回していたのを思い出して。
ガラガラ玩具は早期に贈りたいと思いました。
音は「ガラガラ」より、「ガランゴロン」と鳴るポロロンチャイムという製品に断然惹かれて買いました。
 
売り場で何十種類の鳴らし物を片っ端から鳴らして試している中年女性の姿は、シュールだったことでしょうね。
 
※次の記事へと続きます

 

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