ここのところの雨と風で、残念ですが今年の桜はほぼ散ってしまいました。そしてその最後を飾るかのような桜吹雪に花筏。
散り際までも美しさを演出する桜の花は、本当に見事ですね。
残りなく 散るぞめでたき さくら花 ありて世の中 果ての憂ければ
(思いっきりよく散るのがめでたいのだ、桜の花よ。未練がましく永らえていれば、却って世の中の辛いことを経験してしまうことになるのだから の意)
桜の散るを見ると、古今和歌集のこの一首を思い浮かべてしまいます。あまりにも短い花の盛時を慰めているかのような風情が素敵に思えて。(その一方で「花の命は短くて 苦しきことのみ多かりき」というフレーズもありますけど)
本題に戻って(厚木市 玉川に吸収された)恩曽川。
恩曽川の最下流にかつて架けられていたのが「小田原橋」。
厚木市南部のこの地域は、(小田原北条氏旧臣の)徳川家旗本・山角氏の知行地であったことに由来するネーミングなのだとか。
小田原橋は現存しませんが、ここからわずかの場所に架かるのが
「屯原(とんばら)橋」
この橋詰あたりに山角さんの御殿があって、「殿原(とのはら)」と呼ばれていたものが訛ったものなのだとか。
更には、山角さんが篤く保護したと伝えられている
「酒井寅薬師 薬師堂」も鎮座されていて。
こちらの薬師堂ですが、その名の通り「寅年」に御開帳されるのだそうです。折しも今年は12年に1度の寅の年。是非とも手を合わせておきたいところですね。
ところで。恩曾川(玉川)はこの先、わずかの場所で「相模川」と合流して終着を迎えます。
相模川に架かる「戸沢橋」の上から撮ってみました。
左上から流れ込む細い流れが「玉川(恩曾川)」。新東名高速道路の橋梁の先、正面に見える大山の方角が2つの川の源流域。
昨年10月末にスタートした「渋田川遡上」から「七沢温泉と飯山温泉」、そしてその2つの温泉を源流域とする恩曽川を下った今回の企画、ここ戸沢橋の橋の上をもってピリオドといたします。
足掛け半年の長きにわたり、お付き合いくださいましてありがとうございました。
次回からは再び私のライフワークである「大山道」を辿り直していきたいと思っております。引き続き、よろしくお願いいたします。