電話を切ったあと、
部屋が少し静かになる。
さっきまで聞こえていた声が、
まだ耳の奥に残っている。
何を話したのかは、
細かく思い出せない。
近況を少し話して、
最近あったことを聞いて、
途中で少し笑った。
それくらいの会話だった。
深い話ではなかった。
大きな相談でもなかった。
何か答えをもらったわけでもなかった。
それなのに、
電話を切る前の自分の声が、
思っていたより明るかった。
「じゃあ、またね」
そう言った声が、
少しやわらかかった。
話す前より、
ほんの少し軽かった。
たぶん、
相手の声が温かかった。
「最近どう?」
その一言が、
急かす声ではなかった。
「無理してない?」
その言い方が、
責める声ではなかった。
「それは大変だったね」
その返事が、
ただ正しく受け止めようとする言葉ではなく、
少し近くに来てくれるような声だった。
言葉は普通だった。
どこにでもある会話だった。
それでも、
声のやわらかさは残る。
返事までの間も残る。
少し笑った時の空気も残る。
相手が何か特別なことを言ったわけではない。
ただ、
こちらの言葉を急がせずに聞いてくれた。
途中で言葉が止まっても、
そのまま待ってくれた。
うまくまとめなくても、
わかったふりをせずに、
ちゃんとそこにいてくれた。
その感じが、
声に乗って伝わってきた。
だから、
話しているうちに、
こちらの声のかたさも少しほどけていった。
明るくしようとしたわけではない。
元気なふりをしたわけでもない。
ただ、
温かい声を聞いていたら、
自分の声にも少し温度が戻ってきた。
そういうことがある。
電話を切ったあと、
しばらく何もしないでいる。
画面は暗くなっている。
部屋は静かになっている。
けれど、
さっきの声だけが、
少し残っている。
「大丈夫?」
その言葉そのものより、
言い方が残っている。
答えを求める感じではなかった。
心配を押しつける感じでもなかった。
ただ、
こちらの様子をそっと見てくれているような声だった。
その声を思い出すと、
胸のあたりが少しあたたかくなる。
自分では気づいていなかったけれど、
少し力が入っていたのかもしれない。
大丈夫な顔をしていた。
普通に話していた。
何も問題ないようにしていた。
それでも、
温かい声に触れたあと、
少しだけ息がしやすくなった。
話した内容は、
明日には忘れてしまうかもしれない。
何を話したか聞かれても、
うまく説明できないかもしれない。
ただ、
話したあとの自分の声が、
少し明るかったことは残る。
「ああ、あの時間は温かかったんだな」
そう思う。
人の声には、
言葉より先に届くものがある。
やわらかさ。
ぬくもり。
安心。
ちゃんと聞いているよ、という空気。
そのまま話していいよ、という静かさ。
それが伝わると、
自分の中の小さな緊張がゆるむ。
そして、
次に出る声が少し変わる。
少し明るくなる。
少しやわらかくなる。
少し自分に戻る。
大きな出来事ではない。
誰かに話すほどの感動でもない。
それでも、
そういう会話に助けられる日がある。
短い電話のあと。
何気ないやりとりのあと。
「またね」と言った自分の声が、
思っていたより明るい。
その時、
相手の温かさが、
ちゃんと自分の中に届いていたのだと思う。
話したあと、
自分の声が少し明るくなることがある。
それは、
会話の内容よりも、
声に乗って届いたやさしさが残っているからかもしれない。
部屋は静かになっても、
その温かさは少し残っている。
そして、
次に誰かへ向ける自分の声も、
ほんの少しやわらかくなっている。