50代後半になってから、
ふと考えてしまうことがある。
自分の人生を納得して生きるって、
どういうことなのだろう。
別に、
何もしてこなかったわけではない。
働いてきた。
守ってきたものもある。
その時々で、
できることを選んできた。
投げ出さずに、
何とかここまで来た。
だから、
自分の人生を失敗だったとは思わない。
でも、
このままでいいのかと聞かれると、
すぐには頷けない。
そこが、
少し厄介なのだと思う。
若い頃なら、
もっと分かりやすい言葉で片づけられた。
頑張ればいい。
切り替えればいい。
目標を持てばいい。
前を向けばいい。
そんな言葉で、
自分を動かせた時期もあった。
でも、
50代後半になると、
その言葉だけでは動けない日がある。
気合いが足りないわけではない。
夢がないわけでもない。
ただ、
これからの時間を、
何で埋めていくのかを
少し本気で考えてしまう。
誰かに褒められるためだけでは、
もう少し足りない。
人から見て立派に見えることだけでも、
どこか違う。
生活のために必要なことはある。
役割もある。
責任もある。
それでも、
自分の人生を自分で受け取れる感覚がないと、
心のどこかが置き去りになる。
そんな気がしている。
納得して生きるというのは、
何もかも思い通りにすることではないと思う。
悩まないことでもない。
明るく笑っていることでもない。
正しい道だけを選ぶことでもない。
迷った時間もある。
遠回りしたこともある。
言えなかった言葉もある。
諦めたふりをして、
まだ胸の奥に残っているものもある。
それらを全部なかったことにして、
きれいな人生に見せたいわけではない。
むしろ、
そこまで含めて、
これが自分の歩いてきた道だったと
少しずつ見られるようになりたい。
そう思うようになった。
人はそれぞれ違う。
得意なことも、
安心できる場所も、
力の出し方も違う。
だから、
誰かの人生の形をそのまま真似しても、
自分の納得にはならない。
ソウルカラーや天命鑑定は、
人生の正解を決めるものではない。
あなたはこう生きるべきですと、
押しつけるものでもない。
私にとっては、
これまでの歩き方の中にあった持ち味や、
自然に力が向いていた場所を見直すための補助線に近い。
なぜ、
このことがずっと気になっていたのか。
なぜ、
この役割を引き受けてしまうのか。
なぜ、
この人たちの力になりたいと思うのか。
そういう問いを見ていくと、
これからの時間の使い方が、
少しだけ自分に近づいてくる。
50代後半から、
自分の人生を納得して生きるって何だろうと考えてしまう。
それは、
迷いが深くなったからではないのかもしれない。
人生を、
もう雑に扱えなくなってきたのだと思う。
今までの道を否定したいわけではない。
でも、
この先の時間まで、
ただ何となく流してしまいたいわけでもない。
失敗した人生ではない。
けれど、
このまま終わらせたい人生でもない。
だから今、
もう一度、自分の人生を見直している。
焦って取り戻すためではなく、
誰かの正解に合わせるためでもなく。
ここからの時間を、
少しでも自分のものとして生きるために。