第3381回 明王院の門前町での再会のお話。【小説 宇喜多直家【備前岡山の父】】 | 模型公園のブログ

模型公園のブログ

模型公園の日々の出来事のブログです。

第3381回 明王院の門前町での再会のお話。

 

 

       2024年7月11日木曜日の投稿です。

 

 

 

【脚本小説】宇喜多 直家【備前岡山の父】第57話

 

 

 

 

 

【前話 第3368回の続きより。】

 

 

 宇喜多直家の父親の宇喜多興家が備前国邑久郡の砥石城を

 

攻められ落城し、備後国鞆港に落ち延びて1年が過ぎようと

 

していた天文4年の7月頃、備後国鞆港から北東に約10

 

キロ程度進んだ大川こと、現在の広島県福山市の芦田川の

 

西側の河口にあった備後国草土庄【くさどのしょう】を

 

歩いていた時、人ごみの中から呼び止める声が聞こえたの

 

でした。

 

 

 

 

 

 

現在は無くなっていますが、広島県福山市の芦田川の川の中に

 

室町時代の当時は川の浅瀬を干拓して土地を造成し、商売人の

 

町があったとされてます。

 

 

 

 

 

 

 

 

商人達は、商売繁盛を願い、お金を集めて五重塔を明王院に

 

建立し、周辺の地域から多くの物資が集まり、多くの交易船が

 

備後国の草土庄に集まっていたとされています。

 

 

 

 

「若殿様。」

 

「興家様。」

 

「私でございます。」

 

「もし。」

 

「若殿様。」

 

 

と声をかけて来たのは、興家の亡くなった妻の実家の

 

備前国福岡庄の商人 阿部家の家人の1人藤次で

 

ありました。

 

 

興家は、

 

「おぅーーっ、そなたは藤次。」

 

 

と声を詰まらせたのでした。

 

藤次は、

 

 

「生きておられましたか、八郎様【宇喜多直家の幼名】は

 

どうされておいでですか。」

 

 

と問うと、宇喜多興家は、

 

「お春も、八郎も、七郎も息災じゃ。」

 

と答え、両手で藤次の肩に手を添えたのでした。

 

興家は、

 

「藤次、そなた備後国で何をしておる。」

 

 

と問うと、

 

 

 

 

 

藤次は、

 

「旦那様から、荷を船に積んで、こちらまで海を

 

渡ってまいりました。」

 

「ここでお会い出来てよかったです。」

 

「私は、お亡くなりになったとばかり思っておりました。」

 

と、再開を喜びあったのでした。

 

 

 

 

【次回に続く。】