第3346回 巡洋艦 青葉艦長 日暮豊年海軍大佐のお話。【昭和の伝道師】 | 模型公園のブログ

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第3346回 巡洋艦 青葉艦長 日暮豊年海軍大佐のお話。

 

 

 

       2024年6月23日 日曜日の投稿です。

 

 

昭和の伝道師【戦中・戦後のパイロットの物語】第2814話

 

 

 

 

【前話 第3331回の続きより。】

 

 

 昭和三年こと、1928年の12月に、私の転勤した

 

甲型巡洋艦【後の呼び名で重巡】青葉は、神奈川県の

 

横須賀軍港を出港し、浦賀水道を抜けて、相模湾に出て、

 

西へ西へと太平洋上を進んだのでした。

 

次に入港したのは、長崎県佐世保軍港でありました。

 

 

 

 

 

当時、佐世保軍港の周辺は写真撮影禁止の日本海軍の

 

大切な軍港の一つでした。

 

 

 

 

 

 

私が乗り組んだ青葉と言う巡洋艦は、ここの

 

佐世保軍港にアンカー【碇のこと。】を打って停泊した

 

のです。

 

 

 

 

【長崎県佐世保軍港周辺の古写真】

 

 

 私達若い者は、軍港に入港したら、乗組員の3分の1

 

ずつ、佐世保の町に外出が許されるのです。

 

早い組に混ぜてもらって、佐世保の町に遊びに出ることを

 

楽しみにしていたのですが、そうではなくして、艦内の

 

一斉清掃の命令が発令されたのです。

 

 

 

 

 

何故なのかそんな説明は将校の私にも一切なかった

 

のですが、しばらくしまして新しい艦長が12月10日

 

月曜日付で青葉に着任されるとのことで、その準備命令と

 

わかっていったのです。

 

 

 

【青葉艦長 日暮豊年 海軍大佐 東京府出身 海兵第34期卒】

 

 

 

 

 

新しい艦長は、日暮豊年 海軍大佐でありました。

 

「日が暮れて、豊作の年になる。」

 

と覚えておきますと、暗記しやすい御名前です。

 

 

 

 

「今度の艦長は、水雷屋らしい、日暮海軍大佐と言われる

 

人らしい。」

 

 

とお話があり、

 

私は、

 

「日暮 豊年 と書いてやな、「ひぐれ とよたか。」と

 

読むんや。」

 

 

と言うと、

 

 

 

「貴様、新しい艦長を知っておるのか、どんな人か。」

 

と、こんな質問がありまして、

 

 

 

【第五十二期練習艦隊 先任参謀 日暮豊年 海軍中佐 後列右から2番目】

 

 

 

「わしら、海軍兵学校 第五十二期の練習航海の時の

 

艦隊司令部の先任参謀の人や。」

 

 

と、こんなお話を得意げに行ったのを記憶しています。

 

 

 

 

以前紹介しましたが、私の若い頃は、目立とう精神が旺盛で、

 

歴史に名前を残す大人物になろうと、そんな野心があったの

 

ですが、だんだんと艦隊でも有名な失敗を繰り返し、出世の

 

道から少しずつそれて行ったのです。

 

 

 

そう、連合艦隊司令長官に呼び出しを受ける失敗を

 

しでかすのです。

 

そんな失敗をした日本海軍の将校はわずかです。

 

 

【次回に続く。】