第3260回「内閣総理大臣 田中義一を暗殺せよ。」のお話。 | 模型公園のブログ

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第3260回「内閣総理大臣 田中義一を暗殺せよ。」のお話。

 

 

 

       2024年5月12日日曜日の投稿です。

 

 

昭和の伝道師【戦中・戦後のパイロットの物語】第2809話

 

 

 

 

 

【前話 第3246回の続きより。】

 

 

 昭和三年こと、1928年の5月8日の夜中に、日本陸軍

 

の小倉歩兵第四十七連隊を主力とする混成 第十一旅団の部隊

 

と、中華民国 国民党の共産革命軍との間で、済南と言う場所

 

で武力衝突が発生したお話は前記で紹介したのですが、

 

 

 

 

その約一か月後の1928年6月4日に、当時の内閣総理大臣

 

田中義一 陸軍大将の秘密資金を一手に担っていたとされる

 

張作霖将軍が、陸軍の関東軍の部隊に鉄道を爆破され殺害された

 

のでした。

 

 

そして、その4日後の昭和三年こと、1928年6月8日金曜日

 

に次の事件が発生したのでした。

 

この事件、後の検証では、仕組みが原 敬 内閣総理大臣暗殺

 

事件とよく似ていたそうです。

 

 

 

 

 

場所は、東京府の国鉄 上野駅の中で発生し、鉄道から

 

降りて来た、内閣総理大臣 田中義一 陸軍大将を

 

岡村新吾と名乗る25才の男が短刀を持って襲いかかった

 

そうです。

 

 

 

 

とっさに駆け寄った、東京府 警視庁の竹内悟郎さんと言う

 

警察官が犯人を間一髪で取り押さえたそうです。

 

お金に困った、家族の少ない身の上の男に何者かが

 

大金を与え、その大金はどこかに消え、刑期が終えたら、

 

一生陸軍が面倒を見るなどと、そんなお話になっていた

 

そうです。

 

以前、原 敬 総理大臣を暗殺した中岡なる犯人がいつの間にか

 

刑務所から外に出て、陸軍の軍属として仕事をしていたと言う

 

お話は紹介したのですが、これと同じパターンだったようです。 

 

 

 

 

 

日本陸軍には、統制派と呼ばれる派閥と、皇道派と呼ばれる

 

派閥がありました。

 

この派閥間で右手で握手をして、左手で相手を殺害する

 

陰謀が進んでいたようです。

 

 

 

 

この8年後に、二二六事件と言う陸軍の武装決起が発生し、

 

高橋是清 元内閣総理大臣らが殺害されるのですが、

 

 

 

その青年将校達に指示を出して、後ろで操っていたと

 

決めつけて、済南の戦闘で大勝利した、齋藤 瀏 陸軍少将は

 

その後、反乱罪に問われることになっていきました。

 

これが、本当なのか、ウソで濡れ衣なのか、戦後の今も

 

よくわかっていません。

 

 

 

 

軍人が政治に入り込み、内閣総理大臣になったり、予算を

 

采配するようになると、手段を択ばず、恐ろしい事件が

 

繰り返し起きて行き、闇から、闇へと葬られ、これを

 

追及する人々は、いつの間にか死体で見つかって行ったそうです。

 

これらの鉄道の線路で見つかった死体と、戦後発生した、

 

国鉄 下山総裁の自殺事件の遺体とよく似ているそうです。

 

もしかしたら、下山総裁も、陸軍関係者に暗殺されたのかも

 

しれません。

 

 

【次回に続く。】