第3179回 平島団地の西の放送局の意地悪婆さんの世間の
評判を語るお話。
2024年4月3日水曜日の投稿です。
2020年 平島団地分裂騒動顛末記 第1234話
【前話 第3173回の続きより。】
2019年7月10日水曜日の午後14時過ぎ、
平島団地の町内外の世帯に、「平島団地町内会です。」
などと、勝手に名乗り、いろんな嫌がらせの電話を
繰返して当時苦情が発生していた、平島団地の西の放送局
の意地悪婆さんの世間の評判を子供会の役員をしていた
D2さんに簡単に説明することになって行ったのでした。
「昭和44年頃、北居都神社の西側はブドウ畑で、
ここを整地して宅地にしたのが、現在の4組、5組、
1組の北側の地盤が高い地域で、昭和45年こと、
1970年に平島団地の分譲が始まったのです。」
「数年前、お宅の犬が行方不明になった時に、犬を
見つけて、世話してくださった世帯が入居する前は、
あそこに、平島団地の西の放送局の意地悪婆さんの
お姉さん夫婦が住んでいたのです。」
「当時、妖気ただよう、4組のその建売の世帯に遊びに
やって来たのが、香川県高松市出身の平島団地の西の情報局
の意地悪婆さんの若い頃であったのです。」
「その1年後、平島団地の2組と1組の地域のブドウ畑を
整地して、その残土を南側の水田と沼地を埋め立てて造成
されたのが、平島団地の4組、5組、6組の地盤の低い南側
と、3組、7組、8組、9組、10組、11組、12組、
13組の地域であったのです。
ここは、昭和47年の分譲だったのですが、当時、平島団地の
西の放送局の意地悪婆さんと、旦那と、旦那の
母親が
入居して来たのです。」
「当時、意地悪婆さんの2軒西隣に住んでいた、
公明党婆さんのお話では、
意地悪婆さんの意に反する事があると、家族、他人
見境なく、毎日のようにいろんな嫌がらせを繰り返すそうで、
同居していた、旦那の母親が数日おきに泣きに
公明党婆さんの家に来ていたそうで、その後、
公明党婆さんが仲裁人になっていろいろと
言っていたら、今度は、意地悪婆さんは、
公明党婆さんの世帯を逆恨みして嫌がらせを
繰り返すようになって行ったのだそうです。」
「それで、公明党婆さんは、違う北の2組に
引っ越したらしいのです。」
「そして、平島団地の北の情報局のおかっぱ婆さんの
お話では、意地悪婆さんは、自動車学校の学科試験を
4回も受けて、全部不合格となり、実技教習にも進めず、
運転免許を取得できず、いつも自転車で移動している
そうです。」
「それで、昔から自転車で町内を移動しては、作り話や、
人と人の間に溝を掘って、油を流して、
火をつけるような行為を繰り返しているのだそうです。
「彼女のお話では、その後、家庭崩壊していたのか、
平島の会社の、とある社長の車の助手席に夜に嬉しそうに
乗っている姿が頻繁に見られるようになり、平島団地
の周辺では、2号になったらしいなどと噂が立って、その行為が
改まらず、
「意地悪婆さんは
愛人に間違いない。」
と、そんな評判が定着して行ったようです。
その後、夜にその会社の社長と一緒に交通事故を起こし、
見舞いと称して様子を見に訪れた人のお話では、一緒に入院し、
一緒の部屋で寝ていたそうで、そんなお話が、
広まって評判が悪い人でした。」
「
ご主人、おでこが狭くて、しわが入り、
両目の間隔が狭く、ニホンザルによく似た
感じの婆さんです。」
と、そんなお話をすると、話し相手のD2さんは、
「あーーーぁーーーーっ、聞いたことがある、
そのお婆さん、エビのように背中が丸く、自転車
を乗った時にゴルフキャップをかぶいとるお婆さん
じゃろう、なんか、聞いた事は新幹線の高架の近くで、
自転車に乗っていて、溝に落ちて、大騒ぎになって、
救急車で運ばれたとか、そんなお話を聞きましたよ。」
と言い出し、僕は、
「ほーうーーっ、そうじゃったん、
先月も平島団地公民館の南側で自転車で事故を
起こしたんじゃ。」
「頭蓋骨、複雑骨折、左手骨折の事故じゃったらしい。」
と、2人で会話が続いて行ったのでした。
【次回に続く。】