第3047回「日本共産党員を全員逮捕せよ。」のお話。【昭和の伝道師】 | 模型公園のブログ

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第3047回「日本共産党員を全員逮捕せよ。」のお話。

 

 

       2024年1月28日日曜日の投稿です。

 

 

昭和の伝道師【戦中・戦後のパイロットの物語】第2795話

 

 

 

 

 

【前話 第3033回の続きより。】

 

 欧州大戦こと、後に第一次世界大戦と呼ばれる

 

戦争がドイツ帝国が無条件降伏して終戦となり、その後、

 

ロシア帝国が共産革命で崩壊し、極東の日本を震撼させる

 

大きな事件が発生したのです。

 

それは、通称、尼港事件と言いまして、欧州人や日本人が

 

約6千人程度、斧で頭をたたき割られて死亡した遺体が

 

発見されたのです。

 

 

 

 

この死体の中には、外務省の石田副領事夫妻とその子達や、

 

海軍陸戦隊の兵士、陸軍の水戸第2連隊第3大隊の部隊や、

 

軍医の先生や看護婦も裸にされまして、頭が斧で叩き

 

割られて見つかったのです。

 

大正9年こと、1920年6月に北海道の旭川連隊の多門支隊

 

が連絡が途絶えた水戸連隊を捜索に向かうと、次のような

 

要旨の報告があったのです。

 

欧米人や日本人が雇っていた、朝鮮人や中国人が町の中に

 

住んでいたのですが、ロシア人の共産党赤軍が約3000人

 

の部隊が押し寄せ、共産革命を呼びかけ、これに朝鮮人や、

 

中国人が革命を叫んで銀行や商店や民家を襲い、駐屯していた

 

水戸連隊第3大隊に助けを求めて避難し、その後、双方で

 

戦闘が発生し、その後、水戸連隊が弾薬が尽きて不面目なことに

 

共産党赤軍に降伏したのだそうです。

 

 

 

 

 

降伏後、共産党赤軍によって処刑が行われ、女子の

 

看護婦も寒い雪の中、裸にされて斧で頭をたたき

 

割られたそうです。

 

 

 

 

日本政府は、この北海道旭川連隊からの報告を世界に

 

報道し、アメリカや、イギリスや、フランスなどにも

 

伝えられ、共産党は危険な政党であるとの認識が

 

世界中に広がって行ったのです。

 

日本政府も、この事実を繰り返し宣伝し、共産党は

 

殺人組織だと宣伝していたので、その3年後に発生した

 

 

 

 

 

大正12年こと、1923年9月1日に発生しました

 

関東大震災では、やられる前にやってしまえと言うような

 

考えからか、何も罪もない朝鮮半島の人や、中国人の人達

 

が日本人の自警団に襲われると言う事件の原因になって

 

いったのは、以前紹介した通りです。

 

 

 

【内閣総理大臣 兼 外務大臣 田中義一 陸軍大将 山口県出身】

 

 

前記で紹介したのですが、昭和3年こと、1928年

 

2月後半に支那大陸で、中国共産党と関係を持っていた

 

と言う、水野成夫なる大物日本共産党員の人物が、

 

 

 

 

極秘に日本に戻り、昭和3年2月1日水曜日から、

 

「しんぶん 赤旗。」なる地下新聞の発行を

 

開始したと、鈴木喜三郎 内務大臣や、その弟の

 

鳩山一郎 内閣書記官長から報告を受けた、

 

田中義一内閣総理大臣は、日本共産党員など、

 

 

 

日本共産党の歌を歌い、赤い旗を振り、ストライキや

 

労働争議を扇動している組織の人物について、全国一斉に

 

逮捕を命令したのでした。

 

 

 

 

 昭和3年こと、1928年3月15日木曜日の早朝、

 

 不意を突かれる形となった、日本共産党のアジトでは、

 

警官隊が突入し、次々と検挙されたり、逮捕されたり

 

したのです。

 

その数は諸説あるのですが、1046名検挙連行、

 

 

 

 

その後、約300名が逮捕投獄されると言う事件に

 

発展して行ったのです。

 

 

 

 

この出来事を、近代史では、日本共産党3・15事件と呼んで

 

います。

 

 

 

 

 日本共産党が、「しんぶん・赤旗。」と言う機関紙の発行を

 

昭和3年こと、1928年2月1日に始めたのですが、

 

3号を発行してその後、内務省に弾圧されて、途切れて

 

しまったのです。

 

 

 

 

この日本共産党 中央機関紙には、マルクス主義万歳とか、

 

プロレタリアート万歳とか、書いてありまして、天皇陛下

 

万歳と書いてなかったので、発行するのはけしからんとなって

 

いったようです。

 

 

 

【次回に続く。】