第3045回 昭和五年 岡山駅前奉迎門の古写真を鑑賞する。
【岡山県岡山市北区】
2024年1月27日土曜日の投稿です。
古写真の部屋 第5話
昭和五年こと、1930年の11月13日木曜日に、
岡山県岡山市に天皇陛下が東京府から行幸されることになり、
岡山県知事以下、臣民は正装をしてお迎えすることに
なりました。
この写真が、昭和五年の当時の国鉄 岡山駅の駅舎と思われる
写真です。
建物の二階に大きな時計があって、拡大すると16時10分頃
とわかります。
大きな竹竿に、日の丸の旗を飾り付けているのがわかります。
この写真が、天皇陛下が国鉄岡山駅に、1930年の11月13日
木曜日の午後16時頃に、特別列車で到着され、岡山駅前を
16時10分に出発された写真のようです。
天皇陛下の御車と近衛師団のサイドカーは事前に鉄道で
東京府から鉄道で岡山市に運んで使用したようです。
右奥を観察すると、看板で西大寺〇●とか、旅の看板
があって旅館ではと思います。
白黒で分かりにくいですが、紅白の垂れ幕を
ずーうと、1階の上あたりに横に伸ばして飾り付け
していたのがよくわかります。
これが、奉迎門の裏側からの撮影です。
奉迎門の左右には、岡山市 と言う文字が見えます。
高さ的には、2階の屋根の上程度の高さに取り付けられていた
ようです。
こちらの写真は、岡山市の奉迎門の駅側から見た写真です。
観察すると、西側の支柱に、「奉。」と言う文字、
東側の支柱に、「迎。」と言う文字があったようです。
中央に電車乗り場があるので、おそらく現在の桃太郎
通りではと推測します。
沿道には、姫路第十師団 隷下の歩兵部隊が捧げ筒の
状態で、沿道に整列して警備しているのがわかります。
大正十二年の12月の年末に、虎ノ門事件と言うのがあって、
山口県下関市選出の衆議院議員の息子の難波大助なる
人物が、当時の東宮様こと、昭和天皇の御車に銃で発砲し、
当時の山本権兵衛内閣が総辞職し、正力松太郎警視総監が
免職になる出来事があって、当時の岡山市では、同じような
粗相があってはならないと言う事で、大変な警備体制
だったようです。
因みに、よど号ハイジャック事件の犯人が名乗っていた
難波大助と言う仮名は、この虎の門事件の死刑になった
犯人の名前を使っていたそうです。
当時の看板を観察すると、「万成屋旅館。」と読めます。
手前の2階の上の屋根の上の看板は、「●野屋旅館。」
と途中で切れていて読めません、ご存じの人は、投稿で
教えていただけると助かります。
天皇陛下の車列は、現在の桃太郎通りを南下し、
東に曲がって、現在の備前県民局の前の交差点を
南に曲がって、鶴見橋を通過し、岡山県立博物館の
前で停車したことになっています。
じゃあ みんな また 今度ね。
【次回に続く。】