第2314回 平島団地の西の放送局の意地悪婆さんの1度目の訪問。
2023年2月4日土曜日の投稿です。
2020年平島団地分裂騒動顚末記 第872話
2018年7月7日土曜日の深夜に発生した西日本豪雨水害から
334日後の2019年6月6日木曜日の午後の岡山県岡山市東区
平島団地の様子を少しずつ紹介しています。
当時の日誌には、一日で2度も、平島団地の西の放送局の
意地悪婆さんこと、B12子が訪問した記録が残って
います。
当時、平島団地の要注意人物と考えていた人物でした。
それは、僕の所に来る人、来る人が当時、こんなお話しをする
ので、どうしてもそう考えるようになって行ったのです。
◎1番始めは、平島団地の公明党婆さんが、
「 ありゃーいけんのんじゃ、うちは、以前あれの近所に
住んどったんじゃ、3日に1度は、あれの義理の母親が、
あれが嫌がらせする言うて、うちの家に泣きに
きょうたんじゃ。」
「あんたに 教えてあげようるんじゃ。」
と言い。
2番目は、平島団地の北の情報局のおかっぱ婆さんが、
「B12子さんは、会長、自動車学校の学科試験を4回
連続で不合格になって、うちが、
「B12子さん、自動車学校どうじゃったん。」
言うて、声かけたら、日本猿のように赤い顔を
して、何も言わずにおらんなって、昔から、混ぜくり
回すことで有名な人なんじゃん。」
と言い。
3番目は、当時の子供会の会長の父親は、
「岡山の言葉で、「 がやをかいてまわる。」
言うんですが、昔から、がやをかいてまわるんです。」
「心配せんで下さい、だいたいどうなっとったんか、
想像がつきます。」
とか、それはそれは、話をする人がすべてそうでした。
4番目は、前年の町内会長の夫妻は、
「あれは、B1元町内会長のスパイじゃ。」
「そうよ、齋藤さん、用心して。」
と、こんなお話しが続いていたのです。
【前話 第2312回の続きより。】
平島団地の西の放送局の意地悪婆さんは、部屋の中に
入って来るなり、当時、こんなお話しから会話が始まって
行ったのでした。
「 会長さん、うちの息子は2人いるんです。」
「長男が京都の方で一人暮らしで、次男は東京の方に
いるんです。」
「 それで、長男が1週間に1度、家に車で帰って
来るんです。」
「長男が、帰って来ている時に水害が発生したら
困るので、長男の車を止める場所が無いので、会長さんに
お世話してもらいたいんです。」
と、そんなお話しをしていたら、急に僕の後に目をやり、
「 会長さん、この大きなテレビどうされたの。」
と質問するので、僕は、
「奥さんと、先月、平島団地公民館の中で約束した
じゃろう。」
「今後、民生委員のC2さんの悪口を言うて歩かん
ようにする代わりに、公民館にテレビとDVDを設置する
奥さんの希望を近日中に実現しますという約束、覚えとる
じゃろう。」
「うーーん。」
と言うと、平島団地の西の放送局の意地悪婆さんは、
「かっ、会長さん、本当にテレビを持って来て
くれたんですか。」
と、急に嬉しそうな表情をして、席から立って、数歩、
大型テレビの前に意地悪婆さんは進んでテレビを見たのでした。
意地悪婆さんは、
「 かっ 会長さん、ええテレビじゃが。」
と、子供のような顔で上機嫌となり、喜んでくれたの
でした。
【次回に続く。】