第2312回 民生委員の後任がいない平島団地のお話し。
2023年2月3日金曜日の投稿です。
2020年平島団地分裂騒動顚末記 第871話
2018年7月7日土曜日の深夜に発生した西日本豪雨水害から
334日後の2019年6月6日木曜日の岡山県岡山市東区平島団地
の様子を少しずつ紹介しています。
当時の平島団地は、1970年に平島団地が出来て、約50年が
過ぎ去り、当時30才代の若い多くの世帯が、当時、104才を
筆頭に、90才、80才と、多数の世帯を構成し、高齢者の集落
となっていたのです。
当時の平島団地は、平島振興祭り実行委員会 会長などと
名乗り、平島地区の14の地域の町内会などに、会費と称して、
金銭を要求し、水害で大きな打撃を受けていた、商店や、病院
などに対して、協賛金などと申し立てお金を繰り返し要求し集め、
岡山市役所にも助成金を申請し、集めた資金で、平島小学校の
周辺で、行事を繰り返していた、A1元町内会長の一派と、
元岡山市役所職員で、平島団地町内会の名前で寄付依頼行為禁止を
平成29年度の町内会総会で決議したと申し立て、当時、激しく
対立していた B1元町内会長の一派と、
平島団地の当時の民生委員で、老人会 悠々クラブの実務と資金を
管理し、平島団地愛護委員会の会長であった、C2元町内会長らの
一派に別れて、何年も続く喧嘩騒動を繰り返していたのです。
その民生委員のC2元町内会長が当時、80才となり、
年齢制限で後任を立てる必要があったのですが、当時、
B1元町内会長らと、喧嘩騒動の最中で、民生委員を
引き継いだら喧嘩騒動に巻き込まれると考えたのか、誰も
なり手がない状態でした。
【前話 第2309回の続きより。】
前町内会長夫人のA6子さんの当時の証言では、数年前から
民生委員の後任を探していたそうですが、数年前からなり手が
なかったのだそうです。
当時の民生委員のC2元町内会長も、口では、
「捜しています。」
と、言っていたのですが、僕にはそうには見えない部分も
あったのです。
そのお話は出来事の順番に紹介するとして、当時、岡山市役所に
書類を提出する期限が迫っていたのです。
そこで、当時、民生委員のC2宅への嫌がらせを
数年に渡って行っていた平島団地の西の放送局の意地悪婆さん
の行為を止めようと考え、少しずつ物事を進めていたのです。
平島団地の西の放送局の意地悪婆さんが直接聞いたら
激怒するようなことを、平島団地の北の情報局のおかっぱ婆
さんが僕に繰り返し言うので、
「
奥さん、賛成はしなくてもよいので、表だって反対を
しないように御願い出来ませんか。」
とお願いしたのは前記で紹介したとおりです。
次ぎに彼女に対して、お願いしたのが、2、3日のうちに
平島団地の西の放送局の意地悪婆さんが情報を求めて
必ず訪問してくるか、おかっぱ婆さんの家に電話をかけて
来ると推測されるので、当時、こんなお願いを行こなったのです。
「 数日前に,平島団地公民館で
おかっぱ婆さん
が座っていたら、平島団地の西の放送局の意地悪婆さんが
来て、
「
A5子さん、あんた、うちに断り無く公民館で
何をしょうるんね。」
と、強い口調で言いにやって来たのですが、同様な事が発生したら
「 町内会長さんが、「テレビのことで話がある。」
と言っていたので、会長の事務所に行ってください。」
と言って、意地悪婆さんをこちらに来るように
仕向けてほしい。」
と、彼女にお願いしたのです。
その後、平島団地の北の情報局のおかっぱ婆さんは自宅に向かって
帰宅したのです。
あれは、そうーーっ、その日のしばらく経ってからだったと思います。
予想通り、平島団地の西の放送局の意地悪婆さんが、
「 会長さん、いらっしゃるぅーーっ。」
「B12です。」
「会長さん、いらっしゃるぅーーーっ。」
と、平島団地町内会事務局にやって来たのです。
意地悪婆さんは、毎日が日曜日で、平島団地の北の情報局の
おかっぱ婆さん達が、平島団地の水害退避駐車場の作業を
始めたらしいとのお話しを聞いて、気になって仕方がない
ようで、明日の自らのお話しの種にと考えたのか、僕の所に
情報を求め、翌日にB1元町内会長達に話して聞かせようと
やって来たのです。
【次回に続く。】