第1906回 備州長船秀助の作刀地を見学する。【岡山県和気町田土】  | 模型公園のブログ

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第1906回 備州長船秀助の作刀地を見学する。【岡山県和気町田土】

 

 

              2022年9月9日金曜日の投稿です。

 

 

 

    三毛猫犬ルンルン 【備前国 田土庄の現在の風景 】

 

 

 

 

 

 

三毛猫犬ハート

 

 岡山県の備前長船の北、約15キロ程度進んだ場所に和気町と言う

 

場所があって、ここの戦前の資料を調査していたところ、浦上宗景の

 

居城の天神山城の南の太鼓丸から山続きの山中の田土部落の中の、

 

鍛冶屋田、鍛冶池なる場所から、大量の鉄糞が出土し、刀工の作刀

 

場所にほぼ間違いが無いと言う文章を見つけ、火山の溶岩が沸いて

 

出る様に調査の意欲が沸いて現地へ調査に出かけたのです。

 

 

 

         【 備前国 岩戸庄 天神山城跡 】

 

 

 播磨国、備前国の守護 赤松氏の守護代として、備前国の天神山城

 

に居を構え、備前長船を支配していた、浦上氏の城と知られていますが、

 

ここの山から東側が、備前国田土庄【たどのしょう】と呼ばれていた

 

そうです。

 

 

 

 

船で、吉井川こと、当時の呼び名で、雄神川を上って、備前国岩戸庄で

 

陸地に上がり、田土庄に至る場所は、人間の肛門のように狭くなった

 

天神山城の東下の場所となります。

 

 

 

 

三毛猫犬?

 

 ここの谷を入って行くと,田土部落です。

 

 ここに当時は関所のような柵と番所があったと言われています。

 

 越前の朝倉氏の一乗谷に雰囲気が似た地形で、 左右は高い山に

 

 囲まれ、侵入は、ここの谷のみ押さえたら通れなくなるような

 

 地形です。

 

 

 

 

 

 

 

 

三毛猫犬アセアセ

 

 天神山城登山口で、地元の男性2人に事情を伝えて、教えを請うと、

 

2人とも目を丸くして、

 

ゲッソリ?「 応永の頃。」

 

ニヒヒ??「 金閣寺が出来た頃。」

 

ゲッソリニヒヒ??「はぁーーーっ。」

 

とそんな感じでしたが、

 

ゲッソリ!!「 ここじゃなしにのう。」 

 

「鍛冶屋言うたら、まだまだ谷の奥の奥じゃ。」

 

「あっちに行って、誰かに聞いてみなされ。」

 

 

と教えていただいて、 さらに谷の奥に進みました。

 

 

  【 上の写真の 山の上の民家の右方向がその場所です。】

 

 

捜して、山の上に、上にと歩いて、お祖父さんに聞いて見たら、

 

そこの鍛冶屋と言う家に、子供の頃住んでいたという、お祖母さんを

 

紹介していただいて、教えていただく事になりました。

 

 

チーンアセアセ

 

「 ヘビに気おつけなされ。」

 

「猪よけの電流線にふれんようにしなされ。」

 

と、教えていただき、現地に行って来ました。

 

 

 

三毛猫アセアセ

 

なんだか、地雷原を進む感じて、電流柵と網を避けながら、進むと、

 

 

 

 

 池がありました。

 

 ここの池は 荒神池【こうじんいけ】と呼ばれているそうです。

 

 

 

斜面を、ヘビに気おつけながら、移動します。

 

 

 

 

 

 荒神池の由来は、ここの荒神様に由来しているそうです。

 

 ここで、鍛冶屋と言う場所に住んでいたという、そうーー80才

 

くらいか、その程度の年齢のお祖母さんとお話しする事になりました。

 

今は、嫁に行って、住んでないそうですが、かって親がその場所に

 

住んでいたそうですが、現在は雑木林になっているそうです。不安アセアセ

 

 

 

 

今現在、竹藪になっている場所は、家があった場所で、結構広い敷地

 

だったそうです。

 

家の屋号は 鍛冶屋、その向こうが、鍛冶屋田、 現在雑木林に

 

なっています。

 

上の写真の小道を上に進むと、

 

 

 

 さらに、宅地のような場所があって、昔の天神山城の馬屋があった

 

と言うお話しを子供の頃祖父母から聞いたことがあるそうです。

 

ここを上に登って行くと、太鼓丸に出るそうです。

 

 

 

 

 ところで 鉄クズの出土のお話しをしたら、

 

「私が生まれる前では。」

 

「私は知らん。」

 

とお話しがありました。

 

 

 

 

 おそらく、ここの竹藪に覆われた昔の宅地の周辺で、戦前

 

鉄糞が多数出土したと推測しました。

 

 昔の太鼓丸に登る山道の途中で、鍛冶屋の屋敷があったと

 

思われている場所です。

 

 

 

        【 現在の鍛冶屋池の様子です。】

 

 

 ここの宅地の東側か、池があって、ここを鍛冶屋池と昔から

 

連綿として呼んでいるそうです。

 

ここで、水を汲み、作刀していたのかもしれません。三毛猫犬?

 

 

 

 

 たぶんですが、荒神様の土地は、昔の見張りの曲輪の跡では

 

と思いました。

 

和気町の古い文章には、

 

 

 

A 「 備州長船秀助 和気天神山作之 」

 

  「 応永 貳三年八月日 」

       【23】

 

   刃長 2尺1寸0分

 

 

の片手打ちの作品が、

 

「ここで間違いなく作られていたに違いない。」

 

と、書いてありました。

 

応永23年【1416年】と言うと、3代将軍 足利義満の頃で、

 

京都の金閣寺が造られていた頃です。

 

備前長船では、 康光と盛光の時代になります。

 

 

 

 

続けて、和気町の古い文章には、時は流れて、

 

144年後の戦国時代の永禄の頃、

 

 

B 「備前長船源兵衛尉祐定 天神於山下作之」

 

  「永禄三年八月吉日」

 

 

三毛猫ピリピリ

 

永禄三年と言うと、1560年で、織田信長が桶狭間の合戦で

 

今川義元を殺害したのが6月12日ですから、その2ヶ月後

 

の作刀になります。

 

この作品も間違いなく、鍛冶屋池の地で作刀されたと思われ、

 

とありました。

 

年号が永禄となっていますので、二代目の源兵衛尉かと

 

思いもしたのですが、可能性が高い説と思いました。

 

 

C 「備前国住長船孫右衛門尉清光」

 

「於天神山為浦上与次郎宗景末代作之 永禄八年二月吉日」

 

 

 

と言う作品があって、当時の殿様の 浦上宗景の名前があり、

 

ここで造られたのかもしれません。

 

永禄八年と言うと、1565年で、将軍 足利義輝が三好3人衆に

 

殺害されて、二条の館が焼失した頃の作刀です。

 

可能性が非常に高いと感じました。三毛猫ハート

 

 

D「 備州長船祐定 天神之門 岡本為重代 作之」

 

 「 永禄二年二月 代十貫文 米八石」

 

 

 

と言う作品があって、この作品も、当地、鍛冶屋で造られた

 

のかもしれません。

 

永禄二年は、1559年で、1558年に木下藤吉郎が

 

織田信長に仕えたとされているので、その翌年の頃の

 

作刀となります。

 

岡本家と言う浦上家の家臣に、数打ちの祐定を

 

買っていただき、 

 

 

当時のお値段が 代十貫文 米八石

 

 

 

と言う値段だったようです。三毛猫犬?

 

 

清光も、祐定も、身分の高い殿様の浦上宗景には、区別して、

 

源兵衛尉とか、孫右衛門とか、俗名【ぞくみょう】を入れて

 

作刀し、家臣には、無しという、対照的な面白い作品です。

 

 

ところで、大学の時に習った、日本経済史の中の

 

銭1貫文は、 永楽銭 1000枚の価値で、

 

そうすると、十貫文と言うと、10倍の1万枚の銭と

 

計算できます。三毛猫ルンルン

 

 

 

 

三毛猫!!

 

米一石 銭1貫文と言われていて、

 

両者をたすと、1万8千枚の永楽銭となります。

 

備州長船祐定を 天神山の山の上の門の下の鍛冶屋敷に

 

呼んで、出張で作刀してもらったら、1万8千枚の銭が

 

必要とされたのかもしれません。

 

 

三毛猫犬?

 

何を基準にするのかで価値は上下しますが、

 

永楽銭 1枚 100円で計算して、

 

 

 

 

1貫文を 現在の10万円に仮定すると、180万円の価値となります。

 

今現在の無銘重要の大和伝の白鞘の大刀を買う相場程度の費用が必要

 

だったのかも知れません。三毛猫犬アセアセ

 

 

 

 

 遠い、遠い昔の室町時代のここの風景はどんなだったのか、

 

ここで、日本刀を作刀していたのかと、現在の田土の棚田の風景を見て、

 

随分楽しめた一日でした。三毛猫犬ハート

 

 

 

 

 

  坂道が急で、すこし大変でしたが、みなさんも良かったら

 

  訪問して見てください。三毛猫犬ルンルン

 

 

 

 

 三毛猫 じゃあ みんな また 今度ね。ハートラブラブ

 

 

【次回に続く。】【転載コピー自由です。】