《トリビアNo.106》フランス人が見た明治初期の宮城県―ブスケの日本見聞記― | いっきゅう会がゆく~宮城マスター検定1級合格者のブログ~

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 フランス人ジョルジュ・イレール・ブスケ(1846~1937)をご存じですか?

 (西堀昭/増訂版『日仏文化交流史の研究』93頁/駿河台出版社)

 ブスケは1872年(明治5)に日本を訪れた御雇い外国人で旧民法の草案に関わったほか、司法省明法寮(のちの司法省法学校)で法学の講義をした弁護士です。彼は日本に滞在していた4年間の事を「今日の日本」(日本語訳本題名「日本見聞記」)としてまとめ、1877年にフランスで出版します。
 この本の中に1874年(明治7)夏に品川から北海道を目指した船旅が書かれており、その途中で宮城県に滞在しています。当初寒風沢島に寄港する予定でしたが、悪天候を避けるため田代島に向かい上陸しています。「五時頃我々が投錨したのは緑なす高い丘に囲まれた美しい小さな入り江である。(中略)私は近くの丘によじ登って景色を楽しむ。もっと晴れていたら美しいことだろう。周囲の島々は欝蒼と繁った緑を水路に浮かべている」と島々の美しさを称えています。一方で「今日、九時に我々は蝉湾を去った。―このようにして、私は夜じゅううるさいメロディを我々に聞かせつづけた無数の虫に敬意を表して、この地上の一角を、私の手帳の中で、こう名付けた」とも記述していて、ユニークな一面も見せています。

  ブスケの蝉湾?田代島の港

 その後改めて寒風沢島に入港した後は、松島や仙台、金華山などを訪れています。松島の四階建ての茶屋や三浦(富山観音)からの景色を称賛したかと思えば、宿に泊まっていた相撲取りを卑下したり、仙台では街の様子を見ながら内乱(戊辰戦争)時の仙台藩の立場を考察したりしています。金華山では神道について自分の考えを述べるとともに、島の鹿が神様の使いであり人慣れしていることに感動しています。

  寒風沢島の港

  ブスケが見た三浦(富山)からの風景

 ブスケは当時28歳。今なら若者と言っても良い年齢のフランス人が受けたカルチャーショックや第三者的な考察を通して、明治初期の宮城県や日本の様子を知ることができる見聞記です。一度読んでみることをお薦めします。

 

参考資料:

野田良之・久野桂一郎協訳「ブスケ 日本見聞記 フランス人の見た明治初年の日本」(みすず書房 1977)

ジョルジュ・ブスケ - Wikipedia

 

(執筆:斗田浜 仁)