いっきゅう会がゆく~宮城マスター検定1級合格者のブログ~

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  難関ご当地検定として知られる宮城マスター検定1級の合格者で作る「いっきゅう会」のメンバーが、宮城の魅力をお伝えします!

養殖ワカメ発祥地の碑は2つある。岩手県大船渡市末崎町大浜と宮城県女川町小乗浜である。

(大船渡市の顕彰碑。大船渡博物館近くの海を臨む場所にある)

大船渡市の「わかめ養殖発祥の地」及び「わかめ養殖の碑」は気仙郡末崎村門之浜(現大船渡市末崎町)の小松藤蔵(1916~1997)の功績を記している。小松藤蔵は1953年(昭和28)に私財を投じて、天然ワカメからの人工採苗法を考案し、試行錯誤の結果1956年(昭和32)に企業化に成功している。また、冊子「わかめの養殖方法について」を自費出版し、これを携えて三陸沿岸での技術の普及行脚を行っている。小松藤蔵の私を捨て、公に奉仕した姿勢はワカメ養殖の発展に貢献し、その功績を称え2007年(平成19)に顕彰碑が建立されている。

(女川町の顕彰碑。背景の建物は東北大学大学院農学研究科附属女川フィールドセンター)

一方、女川町の「ワカメ養殖発祥の地 顕彰碑」は大槻洋四郎(1901~1981)と地元漁師の功績を称える碑である。大槻洋四郎は鹿島台村(現大崎市鹿島台)のわらじ村長として有名な鎌田三之助の四男で、宮城県水産高等学校、北海道帝国大学(現北海道大学)付属水産専門部養殖科を卒業後、兵役を経て、東北帝国大学浅虫実験場に勤務、1928年(昭和3)登米郡登米町の大槻茂(県議会副議長)の娘徳子と結婚し婿養子となった。その後東京大学でワカメとコンブの乾燥保存について研究、1929(昭和4)年から1937年(昭和12)にかけて中国・大連にあった関東庁水産試験場に勤務し、コンブやワカメの養殖方法の基礎を確立、1943年(昭和18)に日本で特許を取得している。戦後は中国からの要請により沿岸部でのコンブの養殖指導を行い、1953年(昭和28)抑留を解かれ帰国している。

(晩年の大槻洋四郎。大槻家提供)

帰国した1953年(昭和28)に、知り合いが住む江島に向かう際に小乗浜の海域に興味を持ち、女川町の農林水産課長へ協力要請し、採苗実験を始める。これが宮城県における養殖ワカメの発端となり、1955年(昭和30)には種苗生産技術を公開し小乗浜に50台の筏を設置している。その後、失効していた特許を再度取得したが、「自分は金儲けが本意ではない。より多くの漁民が養殖によって豊かになれば、自分の使命目的は達成される」として途中で放棄している。小乗浜の顕彰碑は2003年(平成15)に建立、東日本大震災で倒壊したが、近くで発見され再建されている。

2025年(令和7)のわかめ類の収穫量は宮城県が1位(21,500t)、岩手県が2位(13,700t)である。しかし、震災以前は岩手県が1位で宮城県は2位だった。(グラフ参照)

震災前、震災後も両県合わせて日本の収穫量の約7割を常に占めていることを考えると、養殖ワカメの発祥地がどちらなのかを論じるのは意味がない。大槻洋四郎の基礎的な養殖技術の確立、小松藤蔵の実用的な養殖技術の普及、この二つがほぼ同時進行で進展したことが今の「三陸わかめ」としてのブランドを確立したと考える。この三陸わかめのこれまでとこれからを後世に伝えていくことが重要であると思う。

ちなみに、総務省の家計調査によると「一世帯(2人以上)当たりのわかめの年間購入額が多い都市」(2023~2025平均)は盛岡市が1位(2,666円)、仙台市が2位(2,478円)と全国平均の約1.6倍~1.7倍で、購入数量も1位盛岡市(1,691㎏)、2位仙台市(1,186㎏)となっている。また、東北6県の県庁所在地の都市は購入金額、購入数量ともにすべてベストテンに入っている。宮城県、岩手県のみならず東北人にとってワカメは食卓に欠かせない一品となっている。

生前の小松藤蔵と大槻洋四郎の間に交流があったかどうか、その記録は見つかっていない。しかし、天国の二人は今の状況を一緒に喜んでいるに違いない。

 

参考資料:漁業・養殖生産統計、家計調査

女川町史、大船渡市史

顕彰碑の碑文(大船渡市、女川町)

船木實「世界で初めてワカメとコンブの養殖に成功した宮城県登米市登米町の大槻洋四郎さん」

りらく7月号(2025)郷土の偉人57

 

(執筆:斗田浜 仁)