【宮城県内ナンバー2の規模を誇る大型古墳】
春は古墳(こふん)の季節!?「弥生」の候、筆者は花粉症のため目の痒みに悩まされていました。連想ゲームよろしく、「弥生時代」の次は「古墳時代」、目のかすみ→霞目(かすみのめ)→バイパス挟んで向い側の「遠見塚(とおみづか)」…。ちょっと強引ですが、古墳に葬られている首長(しゅちょう)からの啓示!?を受けたような気がしたので、3月上旬に国道4号線仙台バイパス沿いの国指定史跡・遠見塚古墳(とおみづかこふん・仙台市太白区遠見塚1丁目)を初めて訪れました。現在は歴史公園として整備されています。遠見塚古墳は、仙台平野のほぼ中央部、広瀬川北岸に発達した標高10mの自然堤防上に位置し、古墳時代前期にあたる4世紀末〜5世紀初頭に造られたと推定される東北でも古い古墳の一つです。全長110m(後円部の直径63m、前方部の長さ47m)、高さは後円部6.5m(前方部2.5m)の前方後円墳で、宮城県内では名取市の雷神山古墳(前方後円墳)に次いで2番目に大きい古墳(東北でも5番目の大きさ)です。後円部に登って周囲を眺めると、仙台市中心部の高層ビル群や泉ヶ岳まで遠くを望むことができます。今は住宅などで見通しが効きませんが、当時は仙台平野をぐるりと一望できる圧巻の眺めだったことでしょう。
【遠見塚古墳のあれこれ】
・棺からは管玉、ガラス玉、櫛が出土。古墳の大きさの割には出土品が少ない。
・被葬者は、仙台平野の生産力を背景に大和政権と関係を結んだ首長だったと推定される。基盤は遠見塚古墳の所在する南小泉遺跡(若林区遠見塚1丁目・2丁目ほか)に代表される集落と推定。被葬者(首長)の住まいは分かっていない。
・古墳を作る際に使用した道具は、市内の古墳時代前期の遺跡から出土した鍬(くわ)や鋤(すき)から判断すると、鉄製の刃は付けられず木製のみの道具だったと考えられている。
・江戸時代には「遠望塚」などと記され、古戦場や物見台と考えられていた。伊達政宗公が晩年を過ごした若林城とは徒歩で20分弱の至近距離。政宗公が活躍された頃は古墳という認識は勿論なかったと思われるが、この地域を治めた為政者同士が時代を超えてご近所さん同士なのは興味深い。
【遠見塚古墳の歴史的な位置づけ】
「春のみやぎ古墳シリーズ・第1弾」として遠見塚古墳をご紹介しました。
遠見塚古墳が宮城で第2位(東北でも第5位)の規模を誇る前方後円墳であるということに注目しがちですが、中央政権(大和政権)と関係を結び、周辺地域首長の同盟・連合体の中で頭一つ抜ける力を持った「仙台平野を治める広域の支配者(リーダー)」が初めて登場したと位置付けられるのではないかという点に筆者は着目しました。まだまだまだ解明されていないことも多い古墳時代の宮城ですが、古墳時代前期(4世紀)に仙台の地で「宮城初?広域支配者(リーダー)が登場!」と言えるかもしれない宮城の歴史のターニングポイントが遠見塚古墳周辺の地で繰り広げられたことを、多くの方に知っていただきたく思いご紹介しました。
次回「春のみやぎ古墳シリーズ・第2弾」は、東北最大の古墳(前方後円墳)として知られ、遠見塚古墳の後に造られたと考えられている名取市の雷神山古墳をご紹介したいと思います。
【参考情報】
遠見塚古墳には駐車場がありません。
【参考文献等】
「仙台市文化財パンフレット第56集 国史跡 遠見塚古墳―4世紀の仙台平野を治めた首長の墓―」
『仙台市史 通史編 古代中世』
宮城県HP
仙台市HP
(筆者 みのるさん)


