《トリビアNo.105》煙雲館と落合直文 | いっきゅう会がゆく~宮城マスター検定1級合格者のブログ~

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 去年11月、日帰りツアー「気仙沼再発見」で、気仙沼市、大島を訪ねました。今回、初めて、2021年全線開通した三陸自動車道で「気仙沼湾横断橋」を渡りました。その前に、国指定名勝文化財煙雲館庭園と落合直文の生家を見学、これもこのツアーの魅力で在りました。煙雲館は、鮎貝家が17世紀後半に、この地に住み、直文の兄盛德は初代気仙沼町長で、弟房之進(槐園)は、歌人、朝鮮語学者として知られていました。次男の直文は、幼名が亀次郎で7歳の時、鮎貝家は戊辰戦争で負けたので、経済的に苦境に立ち、学校にも通えず、寺で住職から学問を教わっておりました。11歳の頃、仙台に移り住み、私塾仙台中教院で神官の勉強をし、同院の設立者で国学者の落合直亮(なおすけ)に才能を見込まれ、14歳で落合家の養子になりました。この落合直亮は、中教院大講義等で、青葉神社の創建に協力し、「邪教(註・キリスト教)がはびこっているのは、日本国中奥羽が第一で、奥羽の中では宮城県が第一。県内では士族が多い。説経だけでは、彼らは服しないから」と神社創建を大いに喜んでいたという。直文は、伊勢神宮教院で国学、漢籍を学び、皇典溝究所、第一高等中学校、早稲田専門学校で国語学、国文学を講じて、後世に残る新体詩の名作を発表し、門人は、与謝野鉄幹、尾上紫舟、金子薰園等多くの優れた歌人がおります。
 煙雲館は、広く太平洋を望む、海抜22mの高台に有り、大震災には建物の2m下まで津波押し寄せ、30人程が避難していたとのことです。霞がかかると庭に煙が雲のようになびくことから名付けられたと云われています。庭園は、江戸時代、石州流2代清水道閑の作庭で、築山を囲む清明な池泉を中心とした回遊式池泉庭園で、岩出山の有備館、北山輪王寺と並び、県内の双璧と称されています。
 庭園にある直文の歌碑

「置くところ よろしきを得て 置きおけば 皆おもしろし 庭の庭石」

 

参考資料「煙雲館パンフレット」他

 

(執筆:吾妻 信夫)