《トリビアNo.101》駅のホームにある歌碑―石川啄木と吉野白村― | いっきゅう会がゆく~宮城マスター検定1級合格者のブログ~

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 薄幸の詩人・歌人石川啄木(1886~1912)の歌碑は宮城県内に3基あります。

 (石川啄木)

 石巻市の日和山公園(石巻市)にあるのは「砕けては またかへしくる大波の ゆくらゆくらに 胸おどる洋」の歌碑です。これは1902年(明治35)5月に中学5年生だった啄木が修学旅行で石巻市長浜を訪れた際に詠んだ短歌です。すでに4年生の時から文芸活動を始めていた彼が創作活動を楽しみ始めた頃の作品です。

 (石巻市日和山公園の啄木歌碑)

 牡鹿半島の石巻市荻浜の羽山姫神社参道脇にある歌碑は「港町 とろろとなきて輪を描く 鳶を圧せる 潮曇りかな」が刻まれています。1908年(明治41)4月釧路から海路上京中に荻浜にわずか5時間立ち寄った際に発想を得た短歌です。啄木22歳でした。歌碑は啄木生誕90年を記念して建てられました。

 (石巻市荻浜の啄木歌碑)

 柴田町船岡にあるのは「汽車の窓 はるかに北にふるさとの山見え来れば 襟を正すも」の歌碑です。船岡駅の一番線ホームに建てられた非常に珍しい歌碑です。これは1902(明治35)に文学で身を立てるため上京したものの、翌年病気のためやむなく故郷に帰る際に詠んだ短歌とされています。歌碑はその百年後の2003年(平成15)に建立されました。しかし、なぜこの歌碑が船岡駅にあるのでしょう?実は啄木が北海道で親しかった歌人に吉野白村(1881~1918)がいます。白村は柴田町船岡の出身、彼の故郷を啄木が汽車で通過したということでホームに建てたようです。

 (柴田町船岡駅の啄木歌碑)

 啄木が白村を詠んだと考えられる短歌が「一握の砂」に残されています。

「かなしめば高く笑ひき 酒をもて 悶(もん)を解(げ)すといふ年上の友」
「若くして 数人(すにん)の父となりし友 子なきがごとく酔へばうたひき」
「さりげなき高き笑ひが 酒とともに 我が腸(はらわた)に沁みにけらしな」

 (吉野白村)

※石川啄木、吉野白村の写真は、船岡駅前の歌碑説明版より明治40年頃の写真

 

(執筆:斗田浜 仁)