《トリビアNo.95》仙台東照宮について~徳川家康は薬師如来~ | いっきゅう会がゆく~宮城マスター検定1級合格者のブログ~

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 仙台東照宮は初詣、どんと祭で大勢の人々が参拝する有名な神社であります。相当の御利益が得られると思われます。江戸時代、家康を神格化した「東照大権現」を主祭神として祀り、この東照大権現の本地仏には、東方瑠璃光如来の名を持つ薬師如来があてられました。権現とは神号の一つで、日本の神々を仏教の仏や菩薩が仮の姿で現れたものとし、本地垂迹思想による神号であります。また、家康は生母於大の方が鳳来寺山の峰の薬師に子授けの祈願を成された事も無縁ではないのです。薬師如来に祈願して、誕生したと言われ、家康は薬師如来が人間界に現れたものと言われます。
 この薬師如来は、衆生の疾病を治癒して寿命を延べ、災禍を消去し、衣食等を満足せしめ、無名の病を直す法薬を与える医薬の仏として、如来には珍しく現世利益信仰を集めていました。
 仙台東照宮の発願者は2代藩主忠宗で、1949(慶安2)年に発願を開始、1654(承応3)年に完成しました。場所名、「仙台七崎」の一つ玉手崎。家康が大崎一揆討伐の作戦視察に来た折りに、政宗の案内で休憩した場所であったと言う故事で選定。では発願の背景は、①徳川将軍家との婚姻関係。五郎八姫(いろはひめ)と松平忠輝、2代将軍秀忠の養女振姫と忠宗の結婚、将軍家への更なる忠誠と崇拝心。②領内の大洪水で被害甚大で、復旧のため幕府から銀5000貫を借用の御礼。③忠宗の長男虎千代丸7歳で、また、世子の光宗19歳が江戸で死去、殉死者7名。④若林城牒蔵炎上、領内検地帳焼失、等があげられます。仙台城の北東の鬼門に、仙台東照宮を持ってきて、つまり鬼門を封じて、多くの禍が起こらないように「薬師如来たる家康」でこの仙台の地を封じる必要がありました。

参考文献  東北大学文学部・杉本欣久准教授の講義録他

 

(執筆:吾妻 信夫)