《トリビアNo.67》「仙台浅草」はどうやってできた? | いっきゅう会がゆく~宮城マスター検定1級合格者のブログ~

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 北仙台駅の南側にある「仙台浅草」を知ってますか?

 

 地下鉄ができる以前、当時国鉄の北仙台駅の前まで、仙台市電「北仙台線」が走っていました。1969年(昭和44)に廃止される前までは交通の要所でした。仙台浅草の前身は1958年(昭和33)に誕生した「北仙台駅前交易センター」で東西100mの横丁に飲食店、洋菓子店、八百屋、鮮魚店など約30店舗が軒を連ねていました。東京の浅草のように賑やかな場所になって欲しいと「仙台浅草」と呼ばれました。市電廃止後、居酒屋やスナックといった夜のお店が増え、大人の横丁になっていきます。東日本大震災後は空き屋に若い店主による飲食店が入るようになり、また新たな賑わいを見せるようになってきています。

 

 しかし、この横丁の向きは不思議です。普通、商店街や繁華街は駅を中心に主要道路に平行または放射状に形成されるものですが、ここは駅から約100m離れているだけでなく、主要道路に直角に交わる形にできています。しかも一直線ではなく横丁の真ん中で「く」の字に曲がっているのです。実は仙台浅草は「仙台軌道」(後の仙台鉄道)の線路を利用した商店街なのです。仙台軌道は1922年(大正11)に開業した北仙台の通町から八乙女、富谷、大和町吉岡、大衡、色麻、中新田を経て西古川に至る蒸気機関車の鉄道です。1956年(昭和31)にほとんどが廃止されるまで利用されていました。この通町駅から北仙台駅の間がこの仙台浅草なのです。


 古い地図で確認してみましょう。1936年(昭和11)の地図では仙台軌道の通町駅が堤町に向かう道路の西側にあります。この頃、市電は北仙台まで通っていません。続いて1943年(昭和18)の地図をご覧ください。戦時中ですので詳細は載っていませんが国鉄、市電、仙台軌道全てが掲載されています。1937年(昭和12)に通町駅は廃止され堤町に向かう道の反対側に「堤駅」があります。この堤駅から北仙台駅まで延びる道路までの区間が仙台浅草の路地と考えられます。商店街が線路の廃線上にできた例は全国的にも珍しいと考えます。周辺にお勤めの皆さん、往時の軽便鉄道に想いを馳せながらぜひ帰りに一杯いかがですか?

仙台浅草の「く」の字の道

昭和11年の地図

昭和18年の地図

 

参考資料:塔文社「昭和11年、18年、27年の仙台と現在の仙台」

 

(執筆 斗田浜 仁)