《トリビアNo.66》仙台東照宮と日光東照宮について | いっきゅう会がゆく~宮城マスター検定1級合格者のブログ~

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 4月16日、仙台東照宮で遷座370年を祝う大祭が挙行され、神輿行列、子供神輿、稚児行列が境内から北六番丁小までの間を往復し、大勢の見物人が駆けつけ賑やかでありました。日光東照宮には、各藩が幕府への忠誠の証として寄進した石灯籠が並び立っていて、中でも石段に最も近い場所に、伊達政宗がポルトガル産の鉄で鋳造した「南蛮鉄灯籠」が在り、他の大名の奉献した石灯籠とは大きく異なっておりました。
 仙台東照宮は日光東照宮より分霊され、この地は、1591(天正19)年、葛西・大崎一揆の鎮圧のため、督戦にあたった家康が帰途、政宗の案内でこの地にあった天神社に宿陣した地と伝えられ家康ゆかりの地として、東照宮鎮座の地として選定されました。1649(慶安2)年、仙台藩主2代忠宗が5年をかけて建立し、工事に携わった人数は、延べ83万5000人、使用木材は2万5000本で総工費約2万2500両。遷座式は、1654(承応3)年3月17日。遷座奉行は原田甲斐。また、仙台藩は、後に日光東照宮の2回の修理費用のため、思わぬ財政負担を強いられました。1688(元禄元)年の4代藩主綱村の「元禄の日光普請」で金約13万4300両、米約8600石、役船2600雙余他に木材、漆等で多額の出費をしました。
 1711(正徳元)年の5代藩主吉村の「正徳の日光普請」では普請役を命じられ、金2800両余、銀6800貫余、米9500石余の出費となり、江戸、京都の商人からの借金で賄ったが、返済できず、農民にまで手伝金の供出を命じ、余にも重い幕府への忠誠の見返りでありました。
 なお、本殿、唐門、透塀、隋身門(楼門)、石鳥居、棟札、石灯籠34基は国指定重要文化財。手水舎は県指定文化財であります。鳥居、本殿等の建築物の基礎石は、忠宗夫人振姫の出身地備前国(岡山県)産の花崗岩をふんだんに使用したと言われております。

 

参考文献    仙台東照宮由緒書
          仙台市史等

(執筆 吾妻 信夫)