幻の宮城の「和菓子」二題 《by インピンのビン》 | いっきゅう会がゆく~宮城マスター検定1級合格者のブログ~

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はじめに

 

 先日のいっきゅう会ブログは、東京でしか買えない宮城の和菓子がテーマでした。食べられないとなると、ますます食べたくなるのが人間の業(ごう)。今回は、今となってはまったく食べることができない「幻の宮城の和菓子」という、実にインピンなお話しです。

 

 ところで「和菓子」は「洋菓子」の対語ですから明治以降の用語です。日本の菓子は元々は字の如く「菓」つまり「果物(水菓子)」や「果実」とそれを加工した「干柿」などでした。それに奈良・平安期に中国から伝わった「唐菓子」と、室町期に西洋から伝わった「南蛮菓子」などが取り入れられ、茶の湯とともに進化し、江戸時代に完成しました。宮城県つまり仙台藩にも多くの和菓子がありましたが、その中に絶品中の絶品がありました。

 

「塩瀬饅頭」の盛衰

 

「塩瀬饅頭 好品甘美言べからず。尋常に異なり。且つ日本第一番」。これは江戸時代中期の寛政10年(1798)に仙台の里見藤右衛門が書いた『封内土産考』の一節です。仙台の饅頭が日本一だというのですが、実はこの評判は仙台だけでなく、江戸にも鳴り響いていました。

 

その「塩瀬饅頭」を製造したのは、仙台藩から「御用菓子司」を拝命した「明石屋」と「玉屋」という2軒の菓子屋でした。元々「志ほせ饅頭」は、室町時代に中国から「小豆餡入り饅頭」を日本に伝えた「林浄因」の子孫の塩瀬一族の家伝で、「塩瀬山城大掾(だいじょう)」を名乗って江戸と京都で饅頭を製造していました。仙台の明石屋は第四代藩主伊達網村の命を受けて江戸日本橋の塩瀬大掾に弟子入りし、また玉屋は京都の塩瀬本家で修行をして、それぞれ塩瀬饅頭の暖簾分けを許されました。特に明石屋の塩瀬饅頭はやがて本家に並ぶ名声を博し、仙台藩主の御用達や各大名への贈答品とされ、庶民は食べることを禁止されるとともに、特に藩主が食べる分は店の主人が精進潔斎して衣装を着替え、自ら特別にあつらえたと言われています。

 

 しかし幕末の戊辰戦争で賊軍となった仙台藩が、領地の半分以上を取り上げられて石高も62万石から28万石に減封され、明治維新で武士階級が没落すると、スポンサーを失った「玉屋」は程なく倒産してしまいます。一方、幕末を乗り越えた「明石屋」は塩瀬饅頭を庶民にも開放し、仙台の大町通りに店を構えて高級菓子舗として存続しますが、昭和207月の仙台空襲で店と工場が焼失し、店の経営者も重傷を負って廃業に追い込まれます。名声を博した仙台の塩瀬饅頭は、400年の歴史の幕を閉じ幻の味になりました。

 (明石屋のあった大町通り)

 

戦時統制で消えた「政岡豆」

 

 明治期になってから誕生した仙台の名菓と言えば、何と言っても「九重」でしょう。元は福島県の菓子職人が考案したものですが、仙台の老舗菓子舗の「玉澤」が販売権を獲得し、明治34年に仙台を訪れた明治天皇に献上したところ「九重」の名を賜り、全国三大名菓に数えられ、現在に至っています。

 

その「九重」とともに戦前に宮城の二大名菓と並び称されたのが「政岡豆」でした。明治41年に「政岡菓子本舗」の深川佐蔵が煎り豆に砂糖をかけた豆菓子を考案します。豆菓子それ自体は珍しいものではありませんが、政岡菓子本舗のそれは大豆の煎り方が絶妙で、かけた砂糖蜜の甘さが引き立ったと言われています。また仙台藩を舞台にした歌舞伎の名作「伽羅先代萩」の登場人物「政岡」にあやかったネーミングも功を奏して「政岡豆」は一大ブームを呼んで仙台名菓にのし上がります。

 

しかし昭和に入り、不況と戦時色の強まりの中で輸入品である砂糖は統制が強化され、菓子屋は自由に菓子を作れなくなっていきました。そして昭和16年、食糧の配給制度と経済活動の統制のため、製造業は協同組合化か企業統合を余儀なくされます。特に甘い菓子は贅沢品とされ、仙台の菓子屋は一社に統合されて決められた菓子しか作れなくなり、「政岡豆本舗」は廃業となりました。戦争で消滅した「政岡豆」は、戦時統制が解除された戦後昭和30年代に一時復活しましたが、往年の名声を取り戻すことはかなわず、現在は存続していません。

 (大正4年)

 

おわりに

 

 幻の宮城の名菓、失われた理由がいずれも戦争という所に、「いくさ」と「おかし」の相容れなさを感じてしまいます。

 

 参考資料として、明石屋の最後の当主であった十三代惣左衛門の孫の渡辺仁子さんの著書『今は昔 仙台明石屋物語』2012あきは書館。

 大正4年の「政岡豆本舗」の店舗の写真が掲載された『仙台アルバム 大正四年』2008仙台市歴史民俗資料館。

 そして、宮城の塩瀬饅頭や政岡豆は今では味わうことは出来ませんが、江戸の塩瀬饅頭はその名跡を継いだ「塩瀬総本家」(東京都中央区)によって作り続けられており、都内の主なデパートで買うことができます。甘さ控えめな小ぶりの上品なお饅頭です。

 (現在の東京の「塩瀬饅頭」)