えんころ節と斗蔵山の樫 《by マッツアン》 | いっきゅう会がゆく~宮城マスター検定1級合格者のブログ~

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この夏の731日に「チャリティー 第1回えんころ節全国大会in角田」に行ってきました。場所は角田市のかくだ田園ホール。平成2年(1990)から開催していた亘理町の「えんころ節全国大会」が30回をひと区切りとして終了しましたが、それを引き継ぐ形で開催された大会です。宮城県には全国大会を実施している民謡が多く、えんころ節のほかに涌谷町の「秋の山唄」、大崎市鹿島台の「宮城菱取り唄」、大和町の「お立ち酒」、登米市の「宮城長持唄」「夏の山唄」等があります。特にえんころ節は、「さんさ時雨」、「仙台松坂」、と併せて「宮城の三大祝い唄」と言われています。

 

外の30℃越えの暑さが嘘のように涼しいホールでは、次々と出場者がえんころ節を歌っていきます。今回のエントリーは105名。全員の唄を聞いて優劣をつけなければならない審査員は大変です。

客席中央辺りに座っている3名が審査員なのでしょうか、メモを取りながら真剣な面持ちでステージを見つめていました。

 

 

正月二日の初夢に 何よりめでたい夢を見た お斗蔵さんのカシの木を

申しおろして 船をはぎ 前なるお池に浮かばせて 金銀のべたる帆柱に

綾と錦の帆を巻いて 俵に宝を積み重ね これの館に ドッコイ 走り込む

ショウガイナー (ハ エンコロ エンコロ)

 

歌詞は、新しく造られた船を水に浮かべる「船おろし」の際、歌われた祝い唄ですので、めでたい言葉が散りばめられています。現代では解りづらい文章をちょっとだけ解説してみよう。

「お斗蔵さん」は角田市の「斗蔵山」のことで、ここには宮城県が北限とされているウラジロガシが自生しています。このお斗蔵さんが歌詞に出てくることが、角田市で全国大会を引き継いだ理由のひとつでしょう。樫(カシ)の木は非常に固く、船の材料としては最適です。「船をはぎ」とは製材する際、木の皮を「剥ぐ」ことから「船を造る」を意味します。「金銀のべたる帆柱」「綾と錦の帆」「俵に宝」とめでたいもので装飾された船が船主の館に走り込んでくるのです。これほどの吉兆はないでしょう。最後のショウガイナー以降は囃し詞であり、続く囃し詞の「エンコロ」が唄の名称となっています。

この唄が亘理町で歌い継がれてきたのは、亘理町荒浜が港町であり、新造船が作られることが多く古くから歌われることが多かったこと、明治から昭和にかけて活躍した民謡家の後藤桃水(東松島市野蒜出身。1880~1960)が昭和2年(1927)に歌う人によって様々だったメロディを統一して普及させたこと、後藤桃水の弟子で亘理町荒浜出身の青柳照桃が地元での普及に努めたことなどが亘理町で全国大会を開くきっかけとなったそうです。えんころ節の歌詞は全部で48種あるとされていますが、そのうち37種が『亘理町史 民俗編』に掲載されています。亘理周辺に関係する歌詞があります。

 

親父殿 親父殿 親父殿 明日吹く風は 何風だ

いなさまじりの 西 南 吉田 花釜 他所(よそ)にして

華の荒浜 ドッコイ まとも風  ショウガエー

 

 この歌詞には亘理町吉田、山元町花釜、亘理町荒浜が登場します。「いなさ」とは南東の風のこと。これが強く吹き付けると時化るとされ、さらに西風や南風に変化したのではなかなか出航できない。しかし、荒浜ではちゃんとした風が吹くと歌っています。この「まとも」を漢字で書くと「真艫」。艫は船の後方部を指し、船の真後ろからの風は順風満帆となり、船を前へ進める絶好の風なので実にめでたいというところでしょうか。

亘理町荒浜の漁港公園には「えんころ節記念碑」が平成13年に建立されましたが、東日本大震災の津波で流され、現在は別の場所に保管されているとのことです。えんころ節と縁の深い亘理町でこの記念碑が再建されることを祈っています。

(漁港公園に設置されていた記念碑:撮影 石川守也)

 

せっかくなので、会場を抜け出し斗蔵山にも行ってきました。

 

中腹の駐車場から日陰で湿度が高くよく滑る細い遊歩道をヘトヘトになりながら登り、たどり着いたのが「安狐山斗蔵寺」。ここの観音堂は大同2年(807)に坂上田村麻呂が建立し、千手観音を安置したとされてます。現在は銅造千手観音像懸仏(県指定文化財)と木造千手観音立像(市指定文化財)が安置されています。

 

 

この境内に「えんころ節之碑」がありました。昭和60年に建立されたかなり大きな碑です。角田の皆さんがこの唄を愛しているのが良くわかります。

 

なにげなく碑の東側を見ると、なんと!車道がありました。宅配便の車がちょうど来たところでした。車でもここまで来ることができたのか!もう少しリサーチしておけば良かったと悔やむばかりです。

斗蔵山ではウラジロガシの「極相林」が見られます。「極相林」とは植物の群落が長い時間を経て種類や構造などがほぼ最終段階となり、安定した状態になった森林のことを言います。藩政時代から留山(とめやま)として伐採が禁じられていたからこそ、約12haと広大なウラジロガシの極相林は残ったのでしょう。今は遺伝資源希少個体群保護林に設定されていて、自然観察やバードウォッチングなどが楽しむことができます。

 

葉の裏が白いとされるウラジロガシを探しながら下山しましたが、どれがウラジロガシか判らず、残念ながら見つけることはできませんでした。樹種を示した看板があったら良かったのですが、保護林だとできないのでしょうか。色々な鳥の声がむなしく響くばかりでした。

斗蔵山の名前は「鳥の塒(ねぐら)」が由来とのこと、今度は双眼鏡を片手にバードウォッチングを楽しんでみようと思いながら斗蔵山を後にしたのでした。