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精神医療・精神保健において、

薬物依存に偏らないオルタナティブな視点を大切にしています。

心のこと、精神医療のこと、日々の気づきや小さな活動まで、

感じたことを綴っていく場所です。




診断・分類の先へシリーズ

    

分類の先で、人間を見る

—自分探しから、人間力へ—



第三部 分類の先で、人間を見る


 🌏大人のチカラ・子どものチカラ

― 人間力とは、しなやかに戻る力 ―



大人のチカラ・子どものチカラ
第8回 

診断名は、ライフハックをくれない


― 専門家の言葉は、使えるところだけ使えばいい ―





問い



誰かの答えを信じたとき、

自分で考えることまで、

やめていませんか。





医師に言われた。

心理士に言われた。

専門家がそう説明している。


そう聞くと、なんとなく重みがあります。


もちろん、専門家はその分野について勉強しています。

自分では知らなかったことを教えてもらえることもある。


でも、


「この先生は、そう見立てたんですね」


くらいで受け取ってもいいんです。(※)


専門家の話を聞くことと、

自分の頭を明け渡すことは、別です。





◾️診断された。で?



たとえば、ADHDと診断されたとします。


診断されたことで、必要な支援につながった。

制度を利用できるようになった。

今まで困っていたことを、人に説明しやすくなった。


それなら、診断名はちゃんと役に立っています。


子どもなら、


「この先生のおかげで、発達支援につながれた」


それでもいい。


ところが、診断名をもらうと、話が急に大きくなることがあります。


「私はADHDなんだ」

「この子はASDなんだ」

「まずは障害を受け入れなければ」


……いやいや。


支援を受けるためにもらった診断名を、

人生の設定資料にまでしなくていい。


診断名は、その人の全部を説明する言葉ではありません。




◾️ 「受け入れましょう」が、しんどいこともある



診断名をもらったあと、


「あれも症状だったのか」

「これも障害だったのか」

「だから私は、うまくいかなかったのか」


と、自分の過去まで診断名で読み直し始めることがあります。


そこへ、


「まずは自分の障害を受け入れましょう」


と言われる。


それで楽になる人なら、もちろんいい。

でも、重くなる人まで受け入れなくていいんじゃないでしょうか。


私は勝手に、こういう状態を、


「診断うつ」


と呼んでいます。


もちろん、そんな診断名はありません。

病名を増やしすぎじゃないかという話をしているのに、

私まで増やしてどうする。苦笑





◾️病名を知ったら、症状探しが始まった



診断された人だけではありません。

今はSNSや広告を見ているだけでも、


「もしかしてADHD?」

「気づかれにくい○○の特徴」

「あなたも高機能うつ病かもしれません」


そんな言葉が流れてきます。

ちょっと気になって検索する。


「あ。これ、私にもある」


もう一つ読む。


「これもある」


さらに検索する。

するとSNSは親切なので、


「こちらもどうぞ」


と、似たような情報を次々持ってきます。


そのうち、

自分について調べているのか、

診断名について調べているのか、

よく分からなくなってくる。


私はこれを、


「診断ノイローゼ」


と呼んでいます。


はい。

これも診断名ではありません。




◾️スマートフォンに奪われるもの



本当なら、


「最近、なんでこんなにしんどいんだろう」


から考えてもいいはずです。


仕事が忙しい?

人間関係?

睡眠不足?

家庭のこと?

単純に、ちょっと疲れすぎてない?


ところが、その前に、


「あなたは○○かもしれません」


という答えが届く。


答えが先に来ると、

人はその答えに合わせて自分を見ることがあります。


スマートフォンに奪われているのは、

時間だけではなく、


考えるチカラなのかもしれません。


便利な言葉を知ることが悪いわけではありません。


ただ、名前をつける前に、


「私は今、何に困っているんだろう」


と考える時間くらいは、残しておいてもいい。





◾️しまいには、他人まで診断し始める



そして診断名や心理学用語に詳しくなってくると、


「あの人、ASDっぽい」

「元彼、自己愛だと思う」

「それ、愛着障害じゃない?」


なんて、他人のことまで説明できる気がしてきます。


……診察室でもないのに、ずいぶん診断が飛び交うな。


これを私は、


「診断ハラスメント」


と呼ぶことにします。


はい。

また増えました。


そして、そういう言葉は、当然、当事者の目にも入ります。


自分の診断名が、世間でどう言われているか。

それを読んで、自分を悪く言い始める人がいる。


ここで気づいたことがあります。


傷つくのは、自分を省みる力がある人です。


診断された人が、自分の言動を検討して、落ち込んでいる。


その横で、他人に病名を貼っている人は、何も検討していない。


……その分類、何を測ってるんでしょうね。





◾️中2の詩集を読むような恥ずかしさで眺めています



とはいえ、責める資格は、私にはありません。


私も診断ノイローゼでしたから。


自分のことも、他人のことも、全部診断名で考えていた時期があります。


他人に病名を貼っている人は、たぶん、まだ検索をやめていない人です。


私が診断名オタクだった頃、矢印は自分に向いていました。


あれが外に向いたら、こうなるんだろうな、と思います。


だから、ああいった投稿を見ると、

中2の頃に書いてた詩集を読み返すような気持ちになります。


うわあ、どうか、

どうかやめろください……。

わたしのライフはゼロです。苦笑





◾️診断名は、ライフハックをくれない



では、診断名は何に使えばいいのでしょう。


制度を利用するために必要なら、使えばいい。

自分に合いそうな工夫を探すための検索ワードとして、覚えておくのもいい。


ただし、

診断名そのものは、ライフハックをくれません。


ADHDと診断されても、タイマーは出てきません。


そもそも、

すべてのADHDの人に、タイマーが必要なわけでもありません。


時間を忘れて困る人なら、タイマーを使えばいい。

ADHDじゃなくても、使えばいい。

騒音があると集中できないなら、静かな場所を探す。

急な予定変更が苦手なら、早めに知らせてもらう。

忘れやすいなら、メモする。


それに、


自分の困りごとを検討できる人なら、工夫だって試せるはずなんです。


診断名を渡さなくても、その人は動ける。


なのに渡されたものが、自己像を下げる言葉だったとしたら。


……何をしているんだろう、と思います。


必要なのは、


「私は何という人間なのか」


という答えより、


「私は何に困っていて、何をすると少し楽になるのか」


を知ることです。





◾️診断名より、自分の取扱説明書を



専門家からもらった言葉は、捨てなくていい。

でも、神棚に置かなくてもいい。


制度に使う。

調べものに使う。

自分を考える材料にする。


そして、使えないところは使わない。


子どもなら、診断をきっかけに支援につながったあとも、

診断名ではなく、今日のその子を見る。


昨日できなかったことが、今日はできるかもしれない。

今は苦手でも、環境が変われば困らなくなるかもしれない。


大人だって同じです。


「ADHDだから、こうする」


ではなく、


「私は、こうすると暮らしやすい」


へ。


診断名を一つ増やすより、

自分の取扱説明書が一ページ増えたほうが、

たぶん、生活には役に立ちます。


分類は、必要なら使えばいい。


でも、その分類の先には、

今日も人間がいます。



問い



自分の中の違和感を、

なかったことにしていませんか。





※ 診断のあとに何が起きるのか、診断基準に実際は何が書いてあるのかについては、別の記事で詳しく書きました。



→ 「診断が、発達を障害してませんか。」

[note記事]

https://note.com/amanomikoto_k/n/n738f0e0a7206






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