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精神医療・精神保健において、
薬物依存に偏らないオルタナティブな視点を大切にしています。
心のこと、精神医療のこと、日々の気づきや小さな活動まで、
感じたことを綴っていく場所です。
診断・分類の先へシリーズ
診断名は、ライフハックをくれない
問い
誰かの答えを信じたとき、
自分で考えることまで、
やめていませんか。
医師に言われた。
心理士に言われた。
専門家がそう説明している。
そう聞くと、なんとなく重みがあります。
もちろん、専門家はその分野について勉強しています。
自分では知らなかったことを教えてもらえることもある。
でも、
「この先生は、そう見立てたんですね」
くらいで受け取ってもいいんです。(※)
専門家の話を聞くことと、
自分の頭を明け渡すことは、別です。
◾️診断された。で?
たとえば、ADHDと診断されたとします。
診断されたことで、必要な支援につながった。
制度を利用できるようになった。
今まで困っていたことを、人に説明しやすくなった。
それなら、診断名はちゃんと役に立っています。
子どもなら、
「この先生のおかげで、発達支援につながれた」
それでもいい。
ところが、診断名をもらうと、話が急に大きくなることがあります。
「私はADHDなんだ」
「この子はASDなんだ」
「まずは障害を受け入れなければ」
……いやいや。
支援を受けるためにもらった診断名を、
人生の設定資料にまでしなくていい。
診断名は、その人の全部を説明する言葉ではありません。
◾️ 「受け入れましょう」が、しんどいこともある
診断名をもらったあと、
「あれも症状だったのか」
「これも障害だったのか」
「だから私は、うまくいかなかったのか」
と、自分の過去まで診断名で読み直し始めることがあります。
そこへ、
「まずは自分の障害を受け入れましょう」
と言われる。
それで楽になる人なら、もちろんいい。
でも、重くなる人まで受け入れなくていいんじゃないでしょうか。
私は勝手に、こういう状態を、
「診断うつ」
と呼んでいます。
もちろん、そんな診断名はありません。
病名を増やしすぎじゃないかという話をしているのに、
私まで増やしてどうする。苦笑
◾️病名を知ったら、症状探しが始まった
診断された人だけではありません。
今はSNSや広告を見ているだけでも、
「もしかしてADHD?」
「気づかれにくい○○の特徴」
「あなたも高機能うつ病かもしれません」
そんな言葉が流れてきます。
ちょっと気になって検索する。
「あ。これ、私にもある」
もう一つ読む。
「これもある」
さらに検索する。
するとSNSは親切なので、
「こちらもどうぞ」
と、似たような情報を次々持ってきます。
そのうち、
自分について調べているのか、
診断名について調べているのか、
よく分からなくなってくる。
私はこれを、
「診断ノイローゼ」
と呼んでいます。
はい。
これも診断名ではありません。
◾️スマートフォンに奪われるもの
本当なら、
「最近、なんでこんなにしんどいんだろう」
から考えてもいいはずです。
仕事が忙しい?
人間関係?
睡眠不足?
家庭のこと?
単純に、ちょっと疲れすぎてない?
ところが、その前に、
「あなたは○○かもしれません」
という答えが届く。
答えが先に来ると、
人はその答えに合わせて自分を見ることがあります。
スマートフォンに奪われているのは、
時間だけではなく、
考えるチカラなのかもしれません。
便利な言葉を知ることが悪いわけではありません。
ただ、名前をつける前に、
「私は今、何に困っているんだろう」
と考える時間くらいは、残しておいてもいい。
◾️しまいには、他人まで診断し始める
そして診断名や心理学用語に詳しくなってくると、
「あの人、ASDっぽい」
「元彼、自己愛だと思う」
「それ、愛着障害じゃない?」
なんて、他人のことまで説明できる気がしてきます。
……診察室でもないのに、ずいぶん診断が飛び交うな。
これを私は、
「診断ハラスメント」
と呼ぶことにします。
はい。
また増えました。
そして、そういう言葉は、当然、当事者の目にも入ります。
自分の診断名が、世間でどう言われているか。
それを読んで、自分を悪く言い始める人がいる。
ここで気づいたことがあります。
傷つくのは、自分を省みる力がある人です。
診断された人が、自分の言動を検討して、落ち込んでいる。
その横で、他人に病名を貼っている人は、何も検討していない。
……その分類、何を測ってるんでしょうね。
◾️中2の詩集を読むような恥ずかしさで眺めています
とはいえ、責める資格は、私にはありません。
私も診断ノイローゼでしたから。
自分のことも、他人のことも、全部診断名で考えていた時期があります。
他人に病名を貼っている人は、たぶん、まだ検索をやめていない人です。
私が診断名オタクだった頃、矢印は自分に向いていました。
あれが外に向いたら、こうなるんだろうな、と思います。
だから、ああいった投稿を見ると、
中2の頃に書いてた詩集を読み返すような気持ちになります。
うわあ、どうか、
どうかやめろください……。
わたしのライフはゼロです。苦笑
◾️診断名は、ライフハックをくれない
では、診断名は何に使えばいいのでしょう。
制度を利用するために必要なら、使えばいい。
自分に合いそうな工夫を探すための検索ワードとして、覚えておくのもいい。
ただし、
診断名そのものは、ライフハックをくれません。
ADHDと診断されても、タイマーは出てきません。
そもそも、
すべてのADHDの人に、タイマーが必要なわけでもありません。
時間を忘れて困る人なら、タイマーを使えばいい。
ADHDじゃなくても、使えばいい。
騒音があると集中できないなら、静かな場所を探す。
急な予定変更が苦手なら、早めに知らせてもらう。
忘れやすいなら、メモする。
それに、
自分の困りごとを検討できる人なら、工夫だって試せるはずなんです。
診断名を渡さなくても、その人は動ける。
なのに渡されたものが、自己像を下げる言葉だったとしたら。
……何をしているんだろう、と思います。
必要なのは、
「私は何という人間なのか」
という答えより、
「私は何に困っていて、何をすると少し楽になるのか」
を知ることです。
◾️診断名より、自分の取扱説明書を
専門家からもらった言葉は、捨てなくていい。
でも、神棚に置かなくてもいい。
制度に使う。
調べものに使う。
自分を考える材料にする。
そして、使えないところは使わない。
子どもなら、診断をきっかけに支援につながったあとも、
診断名ではなく、今日のその子を見る。
昨日できなかったことが、今日はできるかもしれない。
今は苦手でも、環境が変われば困らなくなるかもしれない。
大人だって同じです。
「ADHDだから、こうする」
ではなく、
「私は、こうすると暮らしやすい」
へ。
診断名を一つ増やすより、
自分の取扱説明書が一ページ増えたほうが、
たぶん、生活には役に立ちます。
分類は、必要なら使えばいい。
でも、その分類の先には、
今日も人間がいます。
問い
自分の中の違和感を、
なかったことにしていませんか。
※ 診断のあとに何が起きるのか、診断基準に実際は何が書いてあるのかについては、別の記事で詳しく書きました。
→ 「診断が、発達を障害してませんか。」
[note記事]
https://note.com/amanomikoto_k/n/n738f0e0a7206
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