役割から、責任から逃げたいと思ったことがある人はどのくらいいるのだろうか。



人間関係なんてウザい。

人と関わりたく無い。

友達なんて居るだけで気を遣うから家で1人で過ごした方がいい。

今の世の中、そう思う人は結構居そうだ。



恋人なんてお金がかかる。

コスパが悪いから結婚なんてするもんじゃない。

子育てなんて煩わしい。

そう思う人が増えたから、全体的にいい歳を越えても子どものままの精神状態でいることを恥じなくなった人が増えたのかも?



年齢を重ねても家庭を持っても悪い意味で子どもの心のままの人が多くて、

試しに昔の大人みたいに、ある程度ちゃんとした大人になろうと目標を定めてみても、今の自分以外の大人の現状を見ると違和感を感じて、そこまでキチンとやる必要があるのかな?

と正直感じてしまう。



釈然としないながらも、割りが合わない大人を上部だけで演じて、

すきあらば役割から逃げたい、責任を放棄したいと、結構多くの人が思ってそうだなと。
むしろ逃げたいと思ったことが一度もない人いるんでしょうか。


(※今の時代はガチガチに凝り固まって生きずに、もう少し物事をざっくばらんに、フランクに考えていい、ということでもあるのかも知れないと思います。その視点のバランス感覚を失うと、今日の私の記事は、単なる前時代の人間が喚いてるだけの老害チックな話になりますね。)



そんなこと思ってしまうのは、
学校のPTAやら学童の役員活動やらをやっててですね、
「これが…この考えの浅さが人の親かよ…」
と思う人にちょいちょい出会うからです。


「大人の癖に子どもみたい」って人、結構多いんだなと分かったんです。
自分の振る舞いが周りにどんな影響を与えるか、そこまで考えが及ばずにただひたすら短絡的に面倒くさいことから逃げ続ける。
責任も果たさずに権利ばかり主張したりする。
全体を見通すことをしない。
言動が、子どもなんですね。


もしかしてもしかすると、
人の親になるということは、
どうしようもないろくでもないガキが、自分自身の問題を曖昧にして、誤魔化すことが出来る効果発動!…なんですね。
どうしようもないろくでもないガキが、立場が変わり役割と責任を得ることで強制的に生き方を矯正させられる過程が子育てなんすね!


人の親、の括りですら色んな人がいるのに、
独身者と既婚者の価値観の格差は更にすごいですよね。


既婚者は独身者の頃の気持ちをある程度覚えているけれども、独身者からは既婚者の考えが想像も出来ないようで、視点の違いに度々、コッソリ愕然としております。


まともな感覚や責任感を持つ若い独身者ほど結婚をして家庭を持ち親になることをちゃんと深刻に考えていて、腰が重い。


ケーキを1/3に上手くカット出来ない系の人間が情と成り行きに流されて躊躇いもせずアッサリと親になる。


真面目に生きようとしている若い人たちの悲壮感は気の毒に思う一方、


向こう見ず、享楽的な若い人たちの気楽さ(というか、パッパラパー?)との温度差たるや。


いい歳なのに、自分の親が結婚した歳に自分が近づいても、追い抜いても、
ボーッとしたままで。


自由!自由!自由!
面倒くさいことは要らない!
好きなことだけしたい!
今が良ければいい!
自分が楽しければいい!
欲望、勝手、気まま。
権利!権利!権利!
邪魔するな。
ムカつく!
自己主張!
義務や責任?
それは他人に求めるものであって
自分には存在しないもの。


時代は享楽を良しとする風潮が極まっていて、
快楽の追求、便利さ、楽さの追求は人の権利ではあるけれども、
メディアもコンテンツも人々に際限なく欲望を満たさせようと、満たしてもその上さらに引き出そうと、依存させて搾取しようと、こぞって、庶民の時間とお金を狙っている。


一方、家庭を持つということは
イコール、快楽をある程度犠牲にするということで。自己を律する必要があって。
そんなのに捕まってる場合じゃなくて。
趣味や推し活に何十万使ってる場合でもなくて。


まあ、経済的に余裕があれば家庭持ちでもある程度好きに出来るんだけども。
家庭持ちをターゲットにした「企業からの罠やお誘い」も沢山あるんだけれども。



さまざまなタイプの大人に育てられている子どもたち、
やはりさまざまなタイプがいて。


何も考えないでどんどん楽してボーッと生きてる者が存在し、
その陰で煩雑さや面倒くささ、やり切れなさを押し付けられる者が確実に存在している気がする。


中には、夫婦、親子、家族、小さな家庭内で陰陽の役割分担をしてるところもあるのかも知れない。


苦労を避けて楽して享楽に耽る人と、
面倒くささ、やり切れなさを抱えて「役割」や「責任」を自覚する人と、


どっちが幸せだと思いますか?


一見、享楽に勤しむことのほうが幸せなようですが。


面倒くさいことからずっとずっと逃げ続けた人が待っているのは、孤独なんだろうと思います。


依存、寄生、搾取先を亡くして
ふと我に返ったら

世の中の誰にも必要とされていなくて、とか。



自分が居なくなっても悲しむ人が居ないとか、

そういうネガティブな思考の海に

一度でも溺れてしまったら、

戻ってくるのはきっと大変そうですよね。



孤独は、

自分に役割や責任があること(又は見つけること、見出すこと)で、回避出来ます。



もし、寂しさを感じていたら、

役割や責任を持つことから逃げないか、

既に持っている自分の役割、責任を自覚をすると良いのだと思います。



寂しいということは、自分が「文句をいうだけの一方的なクレーマー」寄りに生きている証拠なんだと思います。

いつも周囲に対する感謝に塗れて生きてる人は、一人でも決して「孤独」ではないです。



日本の福祉は、

障害者から役割や責任を取り上げたり、ごく一部に限定したりすることで、障害者を孤独にさせていると思います。



役割、責任は、義務ではなくて、本当は権利なんですよ。



真面目さを拗らせた視点の狭い親は、

子どもに役割も与えず責任も取らせず、

子どもを世話し続けて弱体化させます。

その癖、子どもより先に死にやがります。

自分が死んだあと、ひとりで生きていけるようにさせてやるのが親が子どもに唯一やるべきことなのに、とても非情です。



孤独という病には多分、

「面倒臭さ」と、「しがらみ」がお薬です。



面倒くささが愛で

しがらみは幸福の

素になるのだと思います。

まあ…知らんけど。



もっと言えば、

人によっては孤独を味わうことさえ、娯楽であり、ご褒美なんですけどね。

特に女性は伴侶に旅立たれてから、人生のボーナスステージだったりしますよね。

ああ、せいせいしたわ!って。笑



そして、人から好かれるのは、優秀さや正義ではなくて、許す気持ちと心のゆとりです。

尊敬されても、心を開いて貰えないって寂しいよね。



家族や隣人を愛せよ。許せよ。

想像力を持って相手を見よ。

関わる全ての人を大切にせよ。



なんて、まるで宗教的なんですけど。

厭世的に世間を斜め見しようと、

意図的に良い人を辞めて、楽して露悪側に身を置こうとしても、結局ね、

昔から、使い古された単純さ、綺麗さで生きることに戻って来たほうが、

最終的に心が「楽」になるのだろうな。



とまあ、こんな偉そうなこと言って自分、余裕でダメ人間なんですけどねー。

すぐ他人に優劣つけるしねぇ。批判するしね。

(事実として優劣はつけるし、好き嫌いは判断するけど、善悪は判断しないことにしてます。)



ああ、働きたくない!

働きたくないでござる!

何もしたく無いでごさる!

家事もめんどくさいでござる!

ずっと遊んでたいでござる!

笑笑笑😂



騙されてここまで読んでしまった方、だいぶ私の妄言に振り回されてますね。

大変お疲れ様でした😛




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