2018年10月14日の記事。
観念的な記事で、長くてわかりづらいです。
昨日の記事と同じ日に書かれていました。
伝わる人がいるのか分かりませんが…



話は変わり、ある日、仕事の休みをとってある場所に講座を受けに行ったら、エネルギーが凄かったという話。



その日、その講座を受けに行くために少し早めに会場に着いた。
そうすると、6人がけのテーブルに5人のヒーラー・セラピストさんが昼食を採られていた。
そのテーブルに一緒に座らせて頂くことに。


ふぁー
すごい、この場、すごい。
体調が悪くてヨロヨロになりながらたどり着いた私のエネルギーが、満たされていくのを感じた。
額が、ピリピリっと震えた。


チャクラが、魂が反応した!
なんて、幸せに繋がったり、ワクワクしたりする明るい妄想であれば、関係念慮ではないのだ。
誰にも迷惑はかけてない。


単なる疲れだとか、PMSの眼精疲労だとか、
医療的な知識で解説するより余程楽しいじゃないか。


「あーあ、偏頭痛がして、辛いわあ」なんて、グチグチ周りにいう方が迷惑だろって話で。


幸せも不幸も紙一重なんだな。
敏感な人は、人格を上げなきゃいけない。
低いものに正面から反応してはいけない。
ネガティブなままでいた方が、時に面白く、本当っぽくて、甘美ではあるけれども。
でも、紛い物なんだよね、それは。


不貞腐れてる心があるから、捻くれて拗らせて雑味が生まれて、他者を攻撃したり、自己顕示欲がウザイまでに反応する。
真実を生きる人は常に素直なんだよ。
低く邪悪なエネルギーは常に、不貞腐れ、へそ曲がり。


まあ、素直なだけでも問題だけど。
ある程度の年齢になったら悪気のない無邪気さ、幼さが残り過ぎていたり、想像力、主体性が無さすぎるのも、ちょっとね…


なんて、また思考のジャッジが止まらない。
私の悪い癖。


さて、私が今までの人生で思って来たことと、講師の言っていることを照らし合わせて、私なりの答えを出してみようかと思う。




悲しみも不幸も誤解から生まれる。
悲しみは作り物。
虚構に気が付くために悲劇があり、哲学が生まれるだけで、悲しみそのものに真実はない。
世の中は虚構。
それに気がつくことが必要な学びの全てなのだから。

知恵とは、知識、学問そのものではない。
知識を学んだり用いたり囚われたり棄てたりするときに生まれる、魂の目覚めの作用である。

魂の充足を手に入れるため、またはカタルシスの為に、不幸と、ぬか喜びを、物語を演じるのが人生。

そこに唯ある真実を悲劇と見たり、自分への攻撃と取るか。
ただ、素直に味わい受け取るか。
本人の価値観、判断、思い込み、それ次第で全てが変わる。

悲しみを大切に持っていたい人もいるのだろう。
心がささくれだっていて、まだ素直になりたくない人もいるのだろう。

それを終わらせてあげる。
せめて、きっかけを作ってあげる。
それが必要だと思う。
それが私たち(霊能)の役目なのだ。

こんなことを言ってはいけない、世間からはみ出してしまう、と思うことが、この先に出てくるかも知れない。
でもその時は、言いなさい。
必ず言わなきゃダメ。
それは必要なことなの。

(…と、講師は言った。)


講師には、この道を学ぶ人間は近いうちに、目を閉じなくても『色々』見えるようになるだろうとも言われた。


うーん。
幽霊は嫌だ。見たくない。
神仏とか龍は見てみたいけど。
亡き父や先祖も、存在を感じるだけで別に見えなくていいかな。



(以下2023年10月付記)

…って思ってたんですけどねえ。

見るようになっちゃいました。
本当にたまにですけど。。
思えば、この講座の受講がきっかけだったんだな。


ああ、一部の精神科医に言わせたらわたしもスピリチュアル界隈にいる人たちも、漏れなくみんなビョーキなんでしょうね。
もし(昨日の記事に書いた)職場の利用者さんの主治医にかかってたら、全員、病気にさせられるよね。


統合失調症と診断されたことは偶々ないんですけれど、精神疾患と診断されるように振る舞うことは容易いですね。この界隈長いんで。
狙いを定めてその病名を患っている人間のように意図的に振る舞えばいいだけですから。
…やりませんけどね?
疾病利得より病名により被る不利益の方が、余程大きいから。


精神医療分野で働きながら、スピリチュアル分野の開発するのは、本当に難しかったなぁ😓


でも、行ったり来たり出来る自分で在らねばならなかった。


夢も希望もない状態で「現実世界を歩く」のはしんどい。
地に足がつかない状態で「意識だけで生きる」のは、危ういから。


混ぜるな危険なんだろうか?
やっぱり。
精神医療分野と、スピリチュアルって。


ただね、上手くやれば、病名を貰った人が自分が病気である前に、人であることを思い出すことの、助けになる気はする。


身体の体感て大事だよ。
薬でどんどん感覚おかしくなる。


幻覚やセネストパチーだとかだって、原因不明とか、不治の病だとかにしちゃうから余計治らないんじゃないの?


あとね、他罰的だったり依存的過ぎたり、自分の非を認めなかったり、精神年齢が幼いと、状態が悪くなりやすいのです。
もともと傷つきやすい、心が敏感なタイプな、芸術肌、天才肌の人は、

「大人になる」
「自立をする」
「余裕を持つ」
「感情に振り回されない」
「他人と積極的に関わる」
「相手に配慮する」
「謙虚でいる」
「虚栄心を捨てる」
「他人を見下さない」
「人の振り見て我が振り直す」
「自分と他人とのバランスを取る」
「境界線を意識する」
「コントロールを手放す」
「全てできなくても、出来ない自分を許す」
「自分がやっていても、それをやらない他人を許容する」

といった人格の向上、社会性の獲得、人間性の成熟を日々目指していくのは必須だと思う。


目指す、ことが大事なので、自分がまだ至らない自覚さえあれば、未熟な人間性のままでも構わないと思うけど。


というか、自分がいかに未熟であるか、他人の手によって生かされているかを自覚していることが一番大事で。
己を知り、身の丈を自覚することで感謝が自然と生まれるから


それをスピリチュアル的にふわっと言うと「波動を高く保つ」になるんだけど、


「波動」という言葉の、「言葉の手垢」に注意は必要だろう。
とにかく「波動を高く保つ」って伝え方をする相手には注意している。


一つは「嫌なことからとことん目を逸らす似非ポジティブ」に走る人がいるのと、
もう一つは、スピリチュアルなことに関わってさえいれば波動が高まっていると勘違いする人もいるから。


中身がない、見せかけや形だけの虚飾に騙されてるようじゃダメで、真贋を見抜いてなんぼな世界なんですわ。
神仏や龍を騙って狐や化け物が憑いてるヤヴァイ人だっているわけで。
それを自分の肌感覚で見抜けない人は、スピリチュアルはやっちゃダメなんです。


でも、物事の真贋なんて余程海千山千乗り越えた瞑想の玄人にしかどうせ見極めらんないんです。
理論ではなく感覚で見抜くしかないんで。


そうなるとね、真贋を見極めるのが難しい普通の人が真に「スピリチュアルに触れる」ということは、
とりあえず売れてそうな人から高額なセッションを受けまくればいい、という単純な話ではないのは分かりますよね?


見抜けない人には、来世昆虫決定のクズにターゲットにされ易いから気をつけないとなんです。
しかも、運良く本物に出会っても先入観が邪魔して、エネルギーの質の違いに気が付けないことがあります。
体力、気力をとても消耗するセッションだったり、お客さんが殺到して困るから高額の値段を設定しているだけの「まともな人」に対して、「高いから詐欺だ!」とセラピストにウザ絡みして、いちいち、やることが迷走したりするんです。


普通の人が簡単にスピリチュアルに触れる方法は、精神性を大事に謙虚に日々を淡々と生きることなんじゃないですかね。


日々の毎日の暮らしをいかに丁寧にするとか、
自分を丁寧に扱うとか、
自分自身と身の回りを綺麗に保つとか、
規則正しい生活をするとか、
運動をしてみるとか、
食事に気をつけてみるとか、
自分を責めないとか、
他人のために労力を奉仕してみるとか、
掃除やゴミ拾いをしてみるとか、
単純作業にコツコツと取り組むとか、
心を込めて作品作りをしてみるとか、
大小問わず、目標を立てて有言実行してみるとか、
誠実な振る舞いで他人に信用されてみるとか、
そーゆー超地味ぃーーーなことをする。
頑張り過ぎずに、気張らずに、焦らずに、おおらかな気持ちで、出来ることを一つずつね。
生活しながら徳を積むんですよ。それが波動を高める実務的な修行です。

面倒くさいし、つまんないですよね。
でも、その嫌なことから逃げて逃げて他人に押し付けて自分だけお気楽極楽しててたら、あなたが逃げた分、やらなかった分を誰かがやることになる。
一度でもいいから「自分がやる立場」になってみないと、受け身のままじゃ世の中って何もかも、見えないんですよ。恥ずかしいほどに。

仕事とか、家事とか、育児とか、人間関係とか、
普段の生活で、とことんね。
地味にコツコツと、地に足つけて。
当たり前のことを当たり前にゆっくり丁寧に取り組む。

スピリチュアルやりたい人ほど、
精神的に不安定な人ほど、
謙虚な真人間を目指すしかないんですわ。
こんなことを言う私自身がちゃんとやれてるとは思いませんが、要は目指すこと、姿勢が大事なんです。
出来ない日も腐らずに。
出来た日は奢らずに。


本当は、薬なんて使っちゃダメで、精神医療は根本的に、間違っている。
精神医療だけじゃないけれどね。
難病と言われているあの病気とかあの病気とか…もね。
身体の病気も、心の病気も、パターンを掴めば原理は同じで、大概アレがアレでアレだよね。でも、アレしたら治るよね。


社会ではアレが正しいということになっているけど、でも自分は違うと思っている。
世間との温度差に酔いそう。
だから、世間に見つからないように生きていこう。
自分の気持ちを口にしないようにしながら生きていこう。
そう思っていた。


しかし今になって講師の言葉を思い出す。


こんなことを言ってはいけない、世間からはみ出してしまう、と思うことが、この先に出てくるかも知れない。
でもその時は、言いなさい。
必ず言わなきゃダメ。
それは必要なことなの。




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