(9月24日の記事再アップ)
今まで精神医療に関して、色んな記事を書かせて頂いてきましたが、
時に自分自身が元患者として、
同時に元精神科病院のスタッフや、
元福祉作業所のスタッフとして、
社会活動でのお話の聞き役として、
その人自身の気持ちは勿論、時に家族やその人の周りの人の気持ちにもなってみて、
多角的な視点で現状を俯瞰してきたつもりです。
その上でわたしが感じるのは、
いい主治医(若しくは支援者)がもし、居るとしたら。
その人主体で、患者と二人三脚をしてくれる人、なのかも知れないなと思いました。
その人の意志、「どうしたい」を引き出してくれる人なのかなと。
特に…減断薬に関して、そうであってくれる先生は貴重だと思います。
専門家はただのその分野の専門家です。
例えば、、
あなたの喜怒哀楽、痛み、辛さは勿論、
心地よさ、喜び、生きる希望…
そういったものを「感じる」ことができるのは、あなた以外に居ないのですから、あなたはあなたの専門家なんです。
支援側がそれに振り回されることは勿論ありますけれども。
振り回されることが嫌なら初めから支援者なんてやっちゃダメなんだと思います。
正しさをね、パターン化して、問答無用で押し付けられて、それに従うこと、押し付けて従わせることは、
長い目で見たらその人にとって何の足しにもならない。
上手く行って、「ずっと他人に決めてもらい続ける人」になるだけ。
上手く行かずに拗らせれば、「被害者」になります。
何かのせいで、誰かのせいで自分の人生は上手く行かないんだ、という愚痴をずっとずっと言い続けることになります。
「ただ誰かに与えて貰うのを待つ人」「与えられないことに文句ばかり並べる人」になります。
そういう人に自分自身を顧みる余裕なんて、全くないです。
つまり、変われないってことです。
長い患者としての人生で、自分がどうしたいのかわからなくなっている人もいます。
そういう人に「どうしたらいいか」「何が正しいか」をこちらが決めてあげるのは、決して優しさではないと思います。
その人が自分の意思を持つことを促すように接するのが本当の優しさなのだと思うのです。
常に他罰的な態度で、自分以外の視点を持たずに支援者や家族に無茶な要求ばかりをしてくる当事者も確かにいます。
そんなときは。
何でも聞いてあげる仏のように解脱べきではなくて、時に支援者も人間で、ワガママを聞くにはこちらにも限界があるんだよってことをちゃんと伝えるべきだと思います。
モンスターを育てて増長させるのは、支援者や親なんだろうなと。
モンスターは家庭で作られて現場で育まれます。
今まで与えられた環境に疑問を抱かずにそのまま来てしまって、
既にモンスターのようになってしまっている人を一体どうしたらいいのか?
という問題もあると思うんですが。
限界が来たら…
というか、来るべき時が来たら。
逆恨みされながら離れてあげる、
それも仕事のうちなのかもなあと思います。
見捨ててあげる。
それが、その人が変われる最後のチャンスであり、最終手段であることもあると思うのです。
自分で蒔いた種、重ねた業は、
自分でしか刈り取れませんから。
上手くお伝えできるまでには、まだ自分のなかで言葉が整頓されていないかも知れないんですけれど…まだ頭の中が混沌としていて。
そのうち、迷いなく言葉に出来るようになるかなぁ。
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