まるで…自分の細胞が入れ替わってるかのような体感的な変化を感じていまして、
これはなかなかしんどいので、やろうと思ってたタロットセラピストとしてのサイトやメニュー組み立て、準備が進みません…
とか言うといかにもスピスピした言い訳してる感じなんですけど。
今までの常識や価値観がガラリと変わっていくのを感じています。
いつもならすんなり出てくる文章も、難産で。
左脳は別のタスクに使いたいから過去記事推敲もお休みしてます。
お盆過ぎたら少しは落ち着くかな。。
調子良く無い時に文章書くべきじゃないとは思ったけど、こういう時にしか実感を持って書けないこともあるだろうから、読んで傷付く人がいるかも知れないけれども書いておこうと思います。
何となく仕事を辞めた後ってどこまでもダランとなってしまいがちな気がするんですが、そこは最低限の朝のルーティンや主婦としてのタスクをコツコツとやることで、何とか自分を保っています。
ああ、洗濯物なんか干したく無い。
でもまあ、一つ一つやるしか無い訳で。
そういうレベルの低い戦いに今、一つ勝ったところです。
こういうレベルの低い「かんたんモード」の戦いがクリアできるようになったら、「ふつう」「むずかしい」に少しずつトライしていけばいいのかなと。
まあ、一つ一つ実践していくだけです。
身体を休めるべき時と、無理にでも動かした方がいい時の見極めは自分です。
よく精神科医や第三者にやって貰おうとする人がいますが、オススメしません。
それが自分で出来るようになることが、本当の意味での快復なんで。
まだだな、と思うならいくらでもダラダラしたらいいと思うんです。
そろそろかな、と思ったら頑張る、頑張れない時はコツコツと踏ん張る。
それだけなんだなと。
「うつがいつまで経っても治らない」?
いや、そんなん、自分で治す気がないだけじゃん?
他人に治して貰おうと思ってるだけじゃん。
誰かが岩のような重さの自分を何とかしてくれるとか、自分の胸に空いた大きな欠損を埋めてくれるとか、幻想抱いてるだけやん。
甘えながら現実逃避して、自分への虐待、誰かへの復讐をやけになって好きで続けてるだけやん。
快復の為に必要だから休むのはいい。有意義なこと。
だけど、自分への虐待、他人への復讐、それと酔っ払いはほどほどにしないといかんです。
自分がどんな動機でその状態にあるのか、ちゃんと自覚した方がいいと思う。
元々怠け者でとにかくダラダラしたい人間なんで今まで体力なんて培って来なかったんですけど、そういう人間だからこそ運動やスポーツ、ウォーキング、身体を動かす「強制力」って必要だよなと思ったので、数ヶ月前から剣道を始めてました。
自分的に「無茶しやがって…」な感覚だったんですが、やれば慣れるものですね。
せっかく身体を動かす楽しさを教えてくれた剣道がお盆はお休み。
自主練したいところですが、今時早朝ですら公園で竹刀振り回してる人居ないんですよね。
昭和や平成の前半くらいまでは居たんだろうけれど、令和の世では不審者として通報されてしまうから、武道家の人たち、自主練も困難な時代なんですねぇ。
賃貸アパートの家の中で竹刀を振り回すと危険なので、練習用の竹刀を夫が買ってくれました。
幼虫🐛が蝶🦋になる前のサナギの状態は、
中でものすごい変革が起こっているらしいですね。
まあ、幼虫から蝶になるってものすごい変態ですものね。
幼虫だった細胞がサナギの中で溶けてバラバラになって、新しい細胞でも作っているんでしょうか。
生物学的なことはちょっと分からないんですけど。
いつでもどんな時も。
自分の舵を取るのは自分自身。
生き方の指針にしている人はいるし、剣道にも師匠はいますが…
誰を師とするか。
その教えを自分なりにどう実践していくかは自分。
自分がどうなりたいか、どうしたいか。
何を思っているか。
目を瞑ってはいけないから、目視、しようと思います。
謙虚さと逃げや言い訳、自分への虐待は似ているから、まあ区別がつきにくいし難しいんですけどね。
何故、頑張る?
何故、頑張って来た?
誰かに気に入られたいから?
誰かに評価されたいから?
誰かに認められたいから?
誰かに許されたいから?
いやいや…
そろそろ自分軸取り戻す頃だろうて。
今、鬱のどん底にいる人が、メンター(精神科医、支援者、家族、セラピスト等)との狭間の摩擦で、心をすり減らしてたら、まあ、アレだよ。
今答え出なくても、いつか出るよ。
人生とは理不尽なものなんですよー。
でも、大概は後になって意味が分かるから。
さて、もうひと頑張りしよう。
身体、動かそ。
明日は用事があるし。