2025年一冊目は村上春樹!と気合い入れて読んだ。

私は決してハルキストではないが、2002年の『海辺のカフカ』以降は発刊すぐに読んできた。「空からイワシが降ってきた」といった意味不明な出来事は、ストーリーの中で一体全体何の存在理由があるのかしら?何かを暗喩しているのかしら?と考えるのが好きなのだ。その疑問は、読み進めるうちに判明する。だから次が読みたくなる。

 

今回、初期作品である本作を手に取ってみた。1985(昭和60)年刊で、ちょうど「羊」と『ノルウェイ』の間。

 

『世界の終わり』、『ハードボイルド・ワンダーランド』の二つの異なる話が20話ずつ、計40話が交互に進む。時間軸は一緒なのか異なるのかしら?時代設定に違いはあるのかしら?と考えながら読み進んだ。『ハード・・・』は刊行当時の昭和末バブル期の日本が舞台であるのは間違いないが、『世界・・』は中世の西洋のイメージも漂う。ただ、確証はない。

 

パラレルに話が進んで、どこかで交わるのだろう、と想像していた。すると、「壁に囲まれている」、「記憶を奪われる」、「不死の世界」、「一角獣」、「特殊な目、特殊な光」・・・と共通項が続々と登場して、下巻の中頃になると、決定的な繋がりに至った。

 

意識がつくりあげた世界

 

以下、感想。

 

●≪世界の終わり≫では、心も記憶もなくなる。

入ったら最後、脱出できない。次第に無気力で目の前の仕事を黙々とこなす生活に慣れきってしまう。記載が無いので明らかではないが、ここには貨幣経済は存在せず、物々交換で生活が成り立っている。且つ、決まった時間働けば、結果は問われない。だから、産業革命以前の中世、しかも(中世にあり得ないが)社会主義国家に見える。

 

心がないと、欲望もなく、憎みもなく、平和。

心がなくてもユートピアが建設できればよいのですが、それができないことは歴史が証明しています。

 

●人は誰でもひとつくらい一流になれる素質がある。

いい言葉ですね。その秘めた素質をうまく引き出すことができれば、その人(子)は何らかの一流になれる。親の仕事って、じっと我が子を観察して、秘めた素質を見つけて、引き出してあげること。その通りだと思います。

 

●現世での心の壁=≪世界の終わり≫の物理的な壁

『ハード』の「私」は頑固で、ビジョンの範囲が限定的。それが昇華して物理的な壁になってしまう。心が物理的なモノになってしまうほど、≪世界の終わり≫では徹底的に心が排除されてしまうんですね。

 

やはり現世がいいです。

 

●世界の終わり≑進撃の巨人、ハードボイルド・ワンダーランド≑インディジョーンズ

≪世界≫高い壁で囲まれている世界。巨人こそいないが、獣がいる。異なるのは、「外に出さない為の壁」と「外から入ってこない為の壁」。

≪ハード≫地中深く入り込まなきゃいけない。でも、恐ろしい化け物が狙っている。

 

似てると思います。

(写真は表紙から引用)