1911年、作者26歳、『白樺』創刊が1910年だから、本当に初期の作品。

 

武者小路と云えば、志賀直哉。志賀の「和解」に登場するM君は武者小路であるというのは有名な話。M君は本当にいい人だ。「自分の心にいい影響を与えた」と志賀に言わせている。

 

白樺派には私小説が多いが、本作が私小説であるなら、めちゃくちゃ恥ずかしい内容だと思う。自身の超一方的な片思いが儚い夢と散った一部始終を赤裸々に世間に知らしめなくてもいいんじゃないのかしら?とも思う。

 

26歳になるまで女性体験がない男。一度も会話したことない女学生(16~17歳)を5年間ずっと、将来の妻にしたいと考えている。「俺と結婚するのが彼女にとっても幸せなことだ」と勝手な解釈をする。チラと目があっただけで、彼女は自分に気があると曲解する。人を介してプロポーズするが、埒があかない。ストーカーまがいの追跡もやってしまう。

 

冷静に分析すると、偶々近所に可愛い子が住んでいて、あの子可愛いな、と思っただけでしょ。それが何故彼女も自分を好きに違いないとか、結婚したら彼女には家事労働をやれとは云わないとか、想像力や妄想が身勝手すぎます。

 

女性としても気持ち悪いでしょうね。

ウジウジするくらいなら、潔く告白して儚く破れた方が健康的だと思うのですが。

 

故に、もし本作が私小説なら、田山花袋(白樺派とは真逆の人だが)の蒲団の匂い嗅ぎと同レベルで恥ずかしい。が、このくらい恥ずかしい話を私小説だろうがフィクションだろうが、小説にしてしまうほど、武者小路さんは純粋で善人なんだと思う。

 

(写真は表紙から引用)