2025年下期、芥川賞受賞。

珍しく新刊を手に取ってみました。

 

作者は34歳の建築士。

 

語り手は家(いえ)だと解釈します。

複数の登場人物は物語の構成要素として並列的な存在です。一方で、物語はすべてこの家が舞台であって、この家について登場人物があれこれと思い描くのが主題なのです。家はそれらを全て見聞きしています。「我が輩は家である」みたいな。

 

築40年の古民家には、これまで、3組が入居しました。(*年)はこの家に住んだ年数。

 

(1) 藪さん=建築家(20年)

(2) 緑=40代の女性、塾主宰(10年)

(3) 圭さん・脩さん=アラフォー夫婦(10年)

↑この二人が引越した後は、

空き家、売物件→解体

 

建築士が自ら住む家を設計するって、羨ましいですね。素晴らしい家になるのは間違いないです。藪さんがこの世を去った後、藪さんの意思を継いで家を買取った不動産屋が所有者になったので、(2)(3)は賃貸です。

 

この3組は平凡ながらも、人生をしっかり生きている充実感に溢れています。

(1)理想的な建築の追求

(2)仕事人間の夫と別居してでも塾の経営

(3)両親の熟年離婚に自らの結婚生活が重なる

 

いずれも独立した純文学になりそうなくらいの題材なのですが、異なる3つの物語が少しずつ小出しにされて3方向に進んでいる様に思えて、本作全体の主題がどこにあるのか判別しないまま多くの頁を読み進めることになります。

 

 

そして、主題が見えてくるターニングポイントが訪れます。

屋根裏に隠された分厚い設計図面。藪さんが残したそれは、住人が変わる毎に発見されます。緑にとっては21年前、圭さん・脩さんにとっては31年前、「青年」(住人ではありませんが)にとっては40年前にこの家を建築するに当たっての建築士の熱量が伝わります。夫々が時間の流れを感じ、自分が歩んできた時間を回顧したり、これからの同じ年月を想ったり。

 

図面の最後の頁には、「時」と題する詩が添えられています。

 

  あなたは二匹の

  うずくまる猫を覚えていて

  私はすり減った石の

  階段を憶えている

 

  もう決して戻ってこないという

  その事でその日は永遠への近づき

  それが私たちを傷つける

  夢よりももっととらえ難い一日

 

  その日と同じように今日

  雲が動き陽がかげる

  どんなに愛しても

  足りなかった

 

この詩は、亡き人の声を導いてくれます。亡き両親、震災で犠牲になった友人、青年にとっての藪さん、等。人は過去を思い出すもの。思い出さずに生きていくことはできません。

 

「家」は、時を刻むスケッチブックなのですね。住人の歴史が刻まれています。だから「家」が主人公なのです。

 

人の魂は場所に根を生やします。家が解体されても、魂は消えることはないでしょう。だから私は神社が好きなのです。古いところは2000年前に跪いて祈った古代人の魂が眠っているところだと思うのです。武将が武運を祈った八幡宮もそう。すみません、脇道に逸れました。

 

「青年」は空き家の暗闇に向かって声を出します。

●誰かいるの?

目に見えない人の気配を感じるのです。緑も、圭さんも感じた気配です。

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追伸①

率直に申しまして、スムーズに読むには慣れが必要でした。

 

最初は“現在”から始まります。

老朽化、草木がブッシュ化しています。建築士の「青年」35歳がこの「家」に不法侵入(?)するところから始まります。「青年」はこの家の近所で生まれ育ち、(1)藪さんとは家族付き合いだったのです。

 

一旦は(1)→(2)→(3)と時系列的に物語が進むのですが、その後はランダムに(2)(3)(1)、(3)(1)(2)・・・と目まぐるしく、しかも突然動きます。最初これに戸惑いました。「時の家」だから、時間設定はランダムなのかしら?半分読んだ頃には慣れましたが。

 

建築家らしい詳細な描写の一例を挙げておきます。こういった専門用語を使った表現が頻出します。慣れると、物語に彩りを添えるデコレーションみたいに感じます。建築士が文学を書くとこうなるんだ・・・と新鮮です。

 

●心が欠けたことに大きなきっかけがあったわけではなかった。それは漆喰壁で無数に繰り返された吸放湿のように小さな膨張と収縮を繰り返し、不意に亀裂が入るのと同じだった。

 

追伸②

「家」の住人の内、緑だけが「さん」が付かず、呼び捨てなのです。「青年」の母親?とも思いましたが、辻褄が合わないファクターがいくつも出てきますので、そうではありません。何故でしょうね?

 

(写真は表紙から引用)