1951(昭和26)年、終戦から6年の芥川賞受賞作。戦後文学の傑作。
GHQによる統治は、1952年サンフランシスコ平和条約の発効まで続きます。学校の日本史の授業では到達しないことが多い近・現代史。ある程度その知識がないと、読み解くのは難しいかも知れません。
今回は、感想は程々にして、読み解いて解釈した内容を主に記載することに集中します。それだけ堀田哲学は難解でした。
●裏表紙から抜粋:
朝鮮戦争勃発にともない雪崩のように入ってくる電文を翻訳するため、木垣はある新聞社で数日前から働いている。そこには「北朝鮮軍」を“敵”と訳して何の疑いを持たぬ者がいる一方、良心に基づき反対の側に立とうとする者もいた。ある夜、彼は旧オーストリー貴族と再会し、別れた後ポケットに大金を発見する。この金は一体何か。歴史の大きな転換期にたたずむ知識人の苦悩と決断。
主人公・木垣(きがき)は、上海で終戦を迎え、東アジアの変貌の渦中にいましたが、厭世観が募って帰国し、もう人と関わるのは御免被りたいと、気儘な個人事業主として翻訳業についたものの、収入は微々たるもので、家計は苦しい。そんな矢先、朝鮮戦争が勃発し、新聞業界も活況を呈し、記者・翻訳者不足に陥ったため、乞われて保守系新聞社に入社したのです。
米軍・連合国軍への物資食料供給元として、特需景気に沸く日本。工場が復活を遂げつつあります。米軍負傷兵を載せた赤十字社の救急車が京浜国道をけたたましく走ります。
まるで戦時中の大本営発表のような言葉で、「西側」贔屓で書き立てる新聞。果たして北朝鮮はマッカーサーの云う通り、「敵」なのか?そういう疑問すらも、「思想が悪い」とレッテルを貼られます。
戦後は終わっていません。世界中のどこかで戦争や紛争が起こっている時代。党員の疑いのある日本人記者は赤追放令(レッド・パージ)で解雇されます。革命に追われ来日した国民党系の中国人記者は、共産化した母国では反動反革命分子と呼ばれ、東京でも中共スパイに監視される日々。彼は国を捨て、NYの国連記者として渡米する人生を選択します。米国通信社の白人特派員はベルリン、東京、朝鮮と転々とし、朝鮮前線から帰国した直後、次の赴任地ハノイに飛び立ちます。
人種入り乱れた人間模様の中、木垣にとっては、そんなカオスの時代に生きていること自体、世界の波に取り込まれていくようで、不愉快でしかたなかったのです。
社会へのコミットメント。
重要キーワード:
● Commit / Commitment コミット / コミットメント
共産党員としての活動は、党に対する明らかなコミットメントです。国際的対立に加担すること、北朝鮮に落とす爆弾を製造すること、それらも全てコミットメントです。新聞社で働くことも然り。政治的中立を通しても、米軍の戦争のための情報活動になってしまう。つまり、どんな社会組織であっても、帰属し、その営みに任ずるのは、コミットメントなのです。
周囲は、コミットメントを強制します。まるで軍事国家への忠誠を強要されたように。戦後5年を経ても、日本人は心の傷が癒えていません。様々な形で戦争と向き合い、人生を大きく変えられてしまった日本人。それも戦争にコミットした結果なのです。
木垣は、傍観者でいたい、社会組織から逃れ、コミットメントから解放されたい、という願望を持ちます。が、それすらも既に社会組織に組み込まれているのです。なぜなら、中立であることさえ、中立というカテゴリーへのコミットメントだから。海外逃亡が頭をよぎります。
悩む木垣は、横浜で、元オーストリア貴族の男爵に偶然再会します。上海で面識があったのです。第一次世界大戦でオーストリア=ハンガリー帝国は解体され、国民は無国籍者として外国を転々とします。男爵は、武器商人、情報スパイ、貿易商、密輸出入業者という立場にあります。戦地に必ず登場する男が横浜にいるということは、カネになる地は横浜とみているのです。
男爵は、木垣のポケットに大金を忍ばせます。このカネでアルゼンチンに移住しろという意味です。悪意なのか、好意なのか。だた、この誘いすらも、木垣にしてみれば、「巻き込まれている」のです。悩み抜いた木垣は、紙幣を灰にし、アルゼンチン移住という選択肢を断ち切ります。
そして、決心したのです。
小説を書き始める、と。やがて、木垣は、逃げても現実からは逃れられないことに気づき、自分が巻き込まれた現実と、コミットしてしまっている事実を受け入れ、それを題材に小説にしようと決心します。
それには、社会への帰属性を取り除くための、精神的な支柱が必要となります。
二つ目のキーワード:
● Stranger in town
長いですが、本作の骨格部分なので抜粋します。
●世に任意の人物、臨時にちょっと雇ったといった人物というものは存在しない。みな特定の人物なのだ。だから任意の人物とは、全くの虚構である。これは普通の、生きた人間のあり方とは逆であるが、逆算することによって未知数のX、すなわち各人を特定の各人として他から別様に成立させている、予見不能の地域をはっきりさせる。そこを照射することに力を集中する。云いかえれば、颱風を颱風として成立させている、颱風の中心にある眼の虚無を、外側の現実の風を描くことによってはっきりさせる-----こうしておれの存在の中心にあるらしい虚点を現実のなかにひき出してみれば、おれは生身の存在たるおれを一層正確に見極めうるのではないか。予見不能の地域、颱風の眼、それは人間にあっては魂と呼ばれるものではないか。もしそれが死んでいるならば、呼びかえさねばならぬ。この〈小説〉の題名は、そうだ、ひとまずStranger in Town これを意訳して、広場の孤独、とする。
かなり難解な文章ですが、言っていることは割とシンプルで、
●人間を“不特定の人物”としてではなく、人間にとっての、予見できないもの(=魂)を小説に描きたい
ということかと思います。
任意(不特定)の人物という人物は存在しない。「X」は、「或る人がその人である、自分でも自覚していない、他人にも未知の部分」。“台風の目”は意外と凪状態。人間の中心部分にも予見不能な「虚点(=魂)」があるのです。魂が死んでいるのなら、呼び戻す。そのために小説を書くのです。
Stranger in town = 「街に来た異邦人・よそ者」ではありません。「その社会(town)に居るのだけれども、そこに帰属・同化していない人間」というニュアンスです。townは「公共の場=広場」と同義でしょう。
木垣は、広場にいながら、同化せず、あくまで孤独な立場を取ります。だから、『広場の孤独』。他人が踏み込むことができない、一人だけの、魂を描くのでしょう。
堀田哲学、難解でした。
追伸
併録されている『漢奸』。漢奸は、かんかん、ハンジェン。中国で「非国民、裏切り者」を指す非難語です。
8月11日、上海では、日本のポツダム宣言受諾がリークされ、号外まで発行されます。その瞬間、占領者は敗北者となり、15日には「日僑集中区」に押し込められます。そして、日本軍管理下にある新聞社の中国人スタッフもまた、漢奸として、断罪されます。
やがて引揚げ船の乗客となる日本人は、5年後、『広場の孤独』の作者となるのです。
(写真は表紙から引用)


