【テーマ・おんがく】



右手の小指が痛みます。

音をさらっているだけですが
かなり力が入ってしまうようです。

リスト…
美しい旋律と裏腹に
なんという残酷さ。

怠惰で萎えたわたしの
なんという無謀さ。


このまま諦めずに練習したら
早くても数年後
ある日突然緊張が解けて

「曲になる」日がやってくる
そう信じて手をつけました。

愛の夢第3番。




30年前
発表会で弾いたショパン
ノクターン作品9の2

最近やっと
曲になってきた気がします。

音楽から遠ざかっていた
数年間があったとはいえ
人生のおよそ半分を
費やしていることになります。

残りの人生でいったい
何曲を仕上げられるのか

欲張らずに
時間を無駄にせず
どこまでストイックに
練習を続けられるのか

いのちに限りがあるということは
そのことだけでこころの迷いを
生み出してしまうものですね。



さて

愛の夢ですが
まず楽譜を見てその調号に
恐れを感じてしまいます。

フラットが4つ変イ長調
転調してシャープが5つロ長調
いったんナチュラルして
でも実は初めの調性っぽく
そのまま再び変イ長調

途中臨時記号で何度か
転調しているようだし

いままで感覚的に調性を捉えていた
わたしにとってこの読譜は
なんだか山あり谷ありの大冒険です。

ロマン派だけに
ロマンチックな冒険です。

旋律は最初右手と左手の交互で弾いて
しかも大のおとなのおっさんリストが
堂々と謳いあげる愛のテノールなんですが

後半では左手のクロスで高音域に
装飾のように現れるのが
ちゃんとこの旋律で追いかけていたりして

転調したり装飾をまぶされながら
何度も何度もこの旋律のフレーズが
これでもかこれでもかと
繰り返されています。

ピアニストが弾いてわずか4分の
この曲がこんなに印象に残るのは
この構造にも秘密があったのですね。


そして今回
目からうろこの発見は

同名異音の存在意義。

いままでわたしは
ソのシャープとラのフラットは
おんなじ音だと思っていました。

確かに鍵盤は同じです。

でも嬰トと変イは
違うんですね。

同じ鍵盤を叩くのですが
違う音なんです。

わたしはイメージするだけで
まだ弾けませんが

断じて違う音なんです。

嬰(シャープ)は明るく、栄えるという意味
変(フラット)は暗く、下落してしまう意味

考えてみれば
同じ音のはずはなかったんです。

昔、軽く楽典を少し勉強したときは
なんて面倒くさいんだろうと
投げ出してしまったこの部分

わたしはこのお宝に
なんで気づかなかったんだろう!


なぜこの音に
わざわざダブルシャープがついてるのか!
なぜこの音を
わざわざナチュラルしてから変化させるのか!

それでみんな
何を表現したがっていたのか!

もしかしてそういうことなのか!


永久凍土の下の大地の秘密を
垣間見たような興奮を覚えました。



何年かかってでも
この曲を弾きあげたい。

何年でも
この曲のなかで
ロマンチックな冒険をしていたい。

ほんとにそう思いました。













【テーマ・架空日記】


この部屋の空気をかき回しているのは
人間サーキュレーターと化した私だ。

吸っては吐き
吐いては吸って

バカみたいにそんなことを
ずっと繰り返している。

私が息をするのをやめたなら
この上ない静寂が
この部屋に初めて訪れるだろう。


でも私の気持ちをかき回しているのは
ムラサキ、おまえだ。

もしもムラサキを殺したら
私のこころに
この上ない静寂が訪れるだろうか。

それはない。

もしもムラサキが
この世から消えたなら
星子はきっと嘆き悲しんで
狂ってしまうに違いない。

そうしたら私は
こころの平穏なんかとは
さっぱり縁を切って

星子の悲しみと苦しみを
全部まとめて引き受けて

いばらの道だろうが
修羅の世界だろうが

どんなところへでも
行かなきゃならない。


ムラサキ、おまえが憎い。

私を差し置いて
星子のこころを奪った
おまえを私は

絶対に許さない。





【テーマ・おんがく】


ここ2、3ヶ月の間
ほとんどピアノの練習が
できませんでした。

ようやく最近になって
身の回りの色々なことが
少し落ち着いて

自然に気持ちが
ピアノに向かいました。

気を紛らすためだとか
元気を絞り出すためだとか
なにかを忘れるためだとか

そんな理由でピアノを
弾きたくはありませんでした。

ただ弾きたい
そう自然に思えるまで
ピアノに触らないこともまた
自然の成りゆきのように
感じていました。



ふつりと弾かなくなるまでは
ベートーベンのソナタと
ちょっと無理をして
バッハのシンフォニアを
練習していたのですが

当たり前ですが
指が硬くなりもつれて
大変なことになっています。


ヘッドフォンのなかでくぐもる
ぼんやりとした音を聞きながら

アコースティックピアノが
たまらなく弾きたくなりました。

ピアノへの静かな情熱が
戻ってきたのを感じました。


けれども
不思議といまは
ベートーベンを弾きたいと
思わないのです。

死ぬまでに一曲でも多く
ベートーベンのソナタに
挑戦したいという気持ちは
変わってはいないのですけど

なぜかいまは
違うひとの曲が弾きたい…


古い楽譜の山のなかから
いろいろと眺めてみて

手に取ったのは
ドビュッシーの
アラベスクでした。

いままで一度も
弾きたいと思ったことのない曲。

美しいアルペジオ。


なんだろう、そういう気分なんだろうか。


こころが動いたのは
リストの愛の夢第3番。

わたしにとっては
かなりの難曲。

切ないほど甘い旋律。


なんだろう、そういう気分なんだろうか。



たぶん
とても悲しいことがあったから
自然にそういう選曲になるのかな

そう思いました。

そして

もしも数年後
この曲を弾けるように
なっていたら

悲しい思いをしたひとに
聞かせてあげることが
できるかな

気がついたらそんな風に
思っている自分に
とても驚いています。

実現するかどうかは別として
誰かに聞かせたいなんて
思ったのは

きっと生まれて初めてです。