おはようございますにっこり 

小児がんサバイバー

吉野やよいですピンク薔薇


    

小児がんの一種

ユーイング肉腫ステージ4
などの余命宣告を経て完治

これからお話しする内容は
私が10歳で余命宣告を受ける前から
遡って書かせていただいていますピンク薔薇




沖縄を離れるか『決断の時』#6



主治医の反応


紹介状を書くことを

快く承諾してくれた小児科の主治医




当時は必死だったからか

細かくは覚えていないのですが



先生に話した内容


私たちからは、

・お父さんが東京で単身赴任していること

・東京で最新の治療を受けたい

・小児がんを治すことを前向きに考えた選択



ざっくりですが

そんな想いというか考えを伝えた

感じだったかと思いますクローバー




先生は話を聞いて質問はするものの

否定的な言葉はなく

『やよいちゃんとお母さんの考えを尊重します』

そう言ってくれましたクローバー



『もし何かあればいつでも

戻ってきて良いからね』と




今考えると

凄く凄くラッキーというか

先生に恵まれたと思います




セカンドオピニオンが日本で始まったのは

1990年後半

私がこの話をした時は1998-1999頃




まだまだ病院も閉鎖的で

どこかの病院に意見を聞いたり移動するのは

関わりを断つのと同じという認識でした




今の時代であっても

勇気がいる決断なのは変わりないですよね…




スタートに立つ前の段階だけど

ひとつひとつ進んでいる気がして

私も母も先生との話し合いに

ホッとしましたクローバー




少し遅ればせながら情報ですが

沖縄の時の最初の担当医は

小児科医長でしたクローバー




小児がんの知識や知見は

沖縄ではトップの方



後に先生から聞いた話では

私はその時先生の中でも

凄く厳しい病状だったのだそうです




だからこそ

やりたいことは全てやり尽くして欲しい

願うことは叶えてあげたい

患者さん想いの先生は

そんな風に考えてくれたのかもしれません




次へ続きますにっこり気づき


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明日も病気と闘う子どもたちが

笑顔で過ごせますようにピンク薔薇