こんにちは
小児がんサバイバー
吉野やよいです
小児がんの一種
ユーイング肉腫ステージ4
などの余命宣告を経て完治
これからお話しする内容は
私が10歳で余命宣告を受ける前から
遡って書かせていただいています
沖縄を離れるか『決断の時』#3
東京の病院に行った母
一か八か行動を起こした母に
起きた奇跡
病院に到着後に窓口で事情を説明した母
すると小児科の看護師さんが
母の話を聞いてくれることに
その後に案内されたのは
小児外科
そして通された先に待っていたのは
なんと小児外科医長だったのです
本来であれば紹介状もなく
患者ではない
親に会うことはないと思います
さらには難病の子どもが多く通う
予約でいっぱいの病院
当時先生はどんな想いで
話を聞くと決めたのか
母自身も経緯は知らされなかったようです
今思い返すと
相談を受けた看護師さん
母と会うと決めた小児外科医長には
感謝の気持ちでいっぱいです
母と先生との出会い
先生は見た目には
背も高く体もがっしりした
強面の方でした
母は先生と会い事情を説明すると
『本人を連れてきて欲しい』
その上で受け入れるかどうか相談しましょう
そして紹介状もお願いしたい、
そんな話をしたそうです
治せるかどうかも
治療をするかどうかも決めかねていた
そんな雰囲気
それでも母にとって私にとって
一歩前進した
大きな出来事でした
決断の時
沖縄を離れるか
そして沖縄に帰省した母は
私に今回のことを話し
どうするか聞いてきました
次へ続きます
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