K.85、K.260の補足説明
●K.85の歌詞について(補足説明)歌詞にある「骨折り」について、聖書には以下のように記述されています。十字架にかけられた犯罪人の1人が、「あなたはキリストではないか。それなら、自分を救い、また我々も救ってみよ」と、イエスに悪口を言い続けた。もう1人は、それをたしなめて言った、「おまえは同じ刑を受けていながら、神を恐れないのか。お互い、自分のやった事の報いを受けているのだから、こうなったのは当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしたのではない」。そして言った、「イエスよ、あなたが御国の権威をもっておいでになる時には、私を思い出して下さい」。イエスは言われた、「よく言っておくが、あなたは今日、私と一緒にパラダイスにいるであろう」。(ルカによる福音書より)ユダヤ人達は、その日が準備の日であったので、安息日に死体を十字架の上に残しておくまいと、ピラトに願って、足を折った上で、死体を取り降ろすことにした。そこで兵卒らが来て、イエスと一緒に十字架につけられた初めの者と、もう1人の者との足を折った。しかし、彼らがイエスの所に来た時、イエスはもう死んでおられたのを見て、その足を折ることはしなかった。しかし、1人の兵卒が槍でその脇を突き刺すと、すぐに血と水が流れ出た。(中略)これらのことが起ったのは、「その骨は砕かれないであろう」との聖書の言葉が、成就する為である。また聖書の他のところに、「彼らは自分が刺し通した者を見るであろう」とある。(ヨハネによる福音書より)以上の通り、犯罪人の二人は足を折られましたが、そのうちの神を恐れた1人は、たとえ足を折られたとしても、イエスと共に天国に昇り、歓喜の思いで過ごしているように思われます。もちろんイエスも、人間として生きていた時には、苦難(骨折り)の連続でしたが、昇天後は天国にて、信じる者と共に愛と喜びの時を過ごしているのではないでしょうか。こう考えてみると歌詞の理解も進むのではないかと思います。津田●K.85の様式ついて(補足説明)父親の勧めによってマルティーニ神父の指導の下に作曲されたルネサンスの古様式の教会音楽となっています。全くモーツァルト的ではありません。強いて言えば、特徴を排したところが特徴と言えます。言い方を変えればつかみどころがないのが良いとも言えます。津田●K.260 *聖体祝日のための奉献唱「来たれもろもろの民よ」ニ長調Venitepopuli(解説と補足説明) ◇ご紹介A data book on Wolfgang Amadé Mozart / 森下 未知世 編集 参考出典K.85 (marimo.or.jp)より父子は1771年3月28日、ザルツブルクに帰郷。 ちょうどその頃、ウィーンで活躍していたハッセが冷静にモーツァルト父子を見ていた記録がある。1771年3月23日若いモーツァルトは、歳にしてはたしかに異常なほどですが、私はそれでも彼を深く好いています。 父親は見たところ、すべてのことにみな不満のようですが、ここでもおなじようにぐちをこぼしていました。 彼は息子をすこしばかり溺愛しすぎ、そのため息子を駄目にしています。 でも私は、この子供の天性の良い感覚についてたいへん積極的に評価していますし、父親の媚びへつらいを軽蔑して堕落せず、立派な人物になってくれるよう望んでいます。[書簡全集 II] p.271☟ 練習予定表はこちらをご覧ください。MMC2023オールモーツァルト・プログラム練習予定表.xlsxSheet1 MMC2023オールモーツァルト・プログラム練習予定表 *赤字は土曜プロ *進捗状況や会場等によって変更があることをご了承ください 月,回数,曲目,備考,月,回数,曲目,備考,プログラム順 1月,6月,1,K.42,K.277,K.85,K.85「ミゼレーレ」 1,K.65,2,K.42,K.277,K.85,K.65「ミサブレヴィス」 2…docs.google.com