オール読物3・4月合併号を買いました。
3月は発売ないです。
この合併号に徳川縁の縁切寺の話が出てきます。
寺は満徳寺。群馬県のようです。
三行半は庶民の間のことです。
かならず夫側から「当方の勝手につき」を入れた文にするのだそうです。
夫側からですと、持参金、家具を返すのだそうです。
妻側からですと持ち分の財産をあきらめると必ず離婚できるそうです。
夫が嫌、顔も見たくないとなると縁切り寺へ駆け込むわけです。
すぐには寺に入れないそうです。
ご寺法はあります。
寺役宿なるものがあるそうです。
墨スケッチの東慶寺の塀つたいにも建物が三軒見えます。
寺役人、身元調べの役人がいたのです。
書類の作成、生国、年齢、家族縁者を聞くのだそうです。
門番、六尺棒。
墨スケッチの東慶寺には三人の門番ないし下級役人が描かれています。大門の片方には家らしきものがありますので門番、役人の住みかではと思います。
寺に生活費、六両を収め、二十五月いれば離縁です。
寺では勤行と寺働きをします。
無料ではないのです。
会津騒動の堀主水の妻は武士のの妻ですから三行半とは言わず、去り状、暇状とか持たされたのでしょうか?
やはり助けてくださいとお願いしたと思ったほうがいいですよね。
「この寺に来る者。如何なる罪人の出すことなし」
天秀尼が江戸幕府に出した文の一部にあります。